果竜/ほしのゆりか『プリズム愛蔵版』(1999)

 サークル「竜の子太郎」による同人誌の総集編。作者の果竜は、現在はほしのゆりか名義で活動している。DLsite.comで購入。

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 3人の少女の高校生活を描いた青春群像劇。低めの頭身に大きな瞳と、とても可愛らしく少女漫画らしい絵柄で、何気ない日常のふとした瞬間に揺れ動く感情を繊細に描き出す。学園生活も終盤に差し掛かり、当たり前だった日々も今の関係性もいつかは失われてしまうのだという予感が、やがて最も残酷な形で現実のものとなる。

 天真爛漫な風子に、密かに想いを寄せていた藍。しかし、その恋は、2人のためを思う余り友人の時華に否定されてしまい、さらに風子の前に気になる男が現れたことで、否応なく悲劇的結末へとひた走る。と、このように筋だけ追ってゆくと、同性愛を禁忌とする異性愛中心主義的なものに見えるかもしれない。しかし、本作はそれだけで終わらない。それまで一貫して藍を思い留まらせようとしていた時華が、あることをきっかけに「この恋は……始まっていたかもしれなかった」と自らの過ちに気付き、ホモフォビアの軛から脱却するのだ。そして後日談として、教員となった時華が、同性を好きだという女子生徒にちゃんと告白するよう背中を押す場面が描かれる。確かに、藍の恋は「眠ったまま」になってしまったが、決して無駄になったのではなく、時華の意識を変えたことで次の世代の恋を目覚めさせることに繋がってゆく。単なる悲恋として閉じることなく、明るい未来に開かれた、力強い希望に満ちた物語に仕上がっている。

 悲恋百合ではあるが、むしろここから新しい百合が始まってゆくのだと、高らかに新時代の到来を告げているかのようだ。たとえ創作の中のものだとしても、登場人物を不幸にするだけのホモフォビアがいかに不要であるか、本作は雄弁に物語っている。

[百合の分類]1-6.片想い

 

コダマナオコ『捏造トラップ -NTR-』(2015)

 全6巻。初出は一迅社コミック百合姫』。

 彼氏持ちの女子高生2人の恋模様を描いた攻めの一作。「NTR百合」という挑発的かつ扇情的な謳い文句は、やや炎上にも近い話題性を狙った編集部の思惑によるものかもしれないが、それとドロドロの昼ドラ展開を得意とする作風とが見事に一致し、結果的にこうしてドロドロ百合の傑作が生みだされたことは素直に喜ばしい。

 内容は綺麗に序破急の三段構成となっている。蛍が由真を誘惑する序盤(1,2巻)、蛍が由真から距離を取る一方、由真が攻勢に転じる中盤(3,4巻)、由真が自身の想いを自覚し、蛍との関係を再構築する終盤(5,6巻)だ。問題の「寝取られ」自体は序盤でほぼ完了しており、それ以降は意外なほど女性同士の恋愛物語に徹しているという点は、強調しておくべきだろう。由真の嫉妬心や独占欲、蛍の自己嫌悪や人間不信といったどす黒い負の感情が、執拗なまでに掘り下げられ剥き出しにされてゆく過程は、生身の人間ドラマを求めてやまない全ての人必見である。

 本作の魅力はやはり、小悪魔・メンヘラ・巨乳と三拍子揃った無敵のヒロイン、蛍である。第2巻の「ホントとんちんかんで嫌になる」「本当に好きってのはね 世界が好きな人とそれ以外に分類されちゃうことだよ」等々、挙げればきりがないほど数多くの切れ味鋭い台詞で読者を震撼させた、闇の百合の最終兵器とでも呼ぶべき存在だ。蛍が由真を好きだということは冒頭から容易に読み取れるが、彼女は決して本心を明かすことをせず、話をはぐらかし、嘘を吐く。「由真ちゃんってレズだったの?」(第5巻)「レズって言われるよりいいでしょ?」(第6巻)という問い掛けは、この程度のことを言われたくらいで好きだと返せないのなら本気で好きではないということでしょう、と由真を試すものであり、本当は好きだと言ってほしい、一人にしないでほしいという心からの叫びの裏返しである。それなのに、由真に何度好きだと言われても、蛍は拒絶してしまう。愛されたことがなく、愛される自信を持てず、裏切られるのが怖くて他人を信じられず、裏切られる前に自分が先に逃げ出してしまう。おそらく、蛍はそうした己の気質を深く自覚しており、ますますこんな自分が愛されるはずはないと思い込む負の連鎖に陥っているのだろう。その悪循環を抜け出し、蛍が由真を信じることが出来た瞬間、この物語は完結する。蛍にとっては、どんなに好きでも絶対に結ばれない存在のはずだった由真が、自分の気持ちと向き合った末に闇の中から蛍を救い出し、遂にはお互いがお互いに真正面から向き合うに至る。なんと尊い、真摯な百合であろうか。

 女性登場人物の複雑な内面をとことん深掘りしつつ、男性登場人物についてはある程度類型で済ませることでキャラを立てた点も、バランス感覚に優れている。武田はとにかく善意や良心を体現した人物で、由真と別れた後も何かと優しく気遣い続け、第6巻では「人が人を好きになるのに変だとかないよ」と由真が無意識に内面化していたホモフォビアを解きほぐすことまでしてくれる。一方、藤原は典型的なミソジニーホモソーシャル野郎で、男友達に対してのみ誠意をもって接する。しかしその誠意は、こうするのがお前のためだという極めて独善的な基準によるもので、自分自身だけでなく由真の幸せをも願う武田には否定されてしまう。ある意味、可哀想な奴だが、武田とは対照的に全く同情は出来ない。

 最後に「捏造トラップ」という題名について考えてみたい。もちろん「Netsuzou TRap」の頭文字が「NTR」になるからという安直な理由もあるだろうが、本編に即した解釈も可能だ。トラップというのは、蛍が由真に仕掛けた恋の罠のことだろう。ただ、それはあくまでも「練習」や「親友を取られた焼きもち」だというように、真意を捏造される。そうした蛍による捏造を由真が見破り、気まぐれな罠に終わることなく、真剣な愛へと辿り着く。このように、きちんと内容を反映した優れた題名であると言えるのではないだろうか。

 百合業界の問題作として賛否両論ある本作だが、表層に捉われず中身を丹念に追ってゆけば、とても普遍的な王道百合漫画であることは明らかだ。心理描写も見応えがあるが、エロ要素も本人が楽しんで描いているのだろうなと伝わってきていっそ清々しい。傑作短編「モラトリアム」と並び立つ、コダマナオコの代表作として高く評価したい。

[百合の分類]1-2.誘惑と葛藤→1-3.自覚と告白→1-4.駆け引きと対話

 

小林キナ『ななしのアステリズム』(2016)

 全5巻。初出はスクウェア・エニックスガンガンONLINE』。

 女子中学生3人の三角関係百合と男子2人のBLを描いた拗らせ青春群像劇。初めて会った日の会話をきっかけに3人とも一方通行な恋心を抱いていたという鮮烈な第1話、そして第1巻末尾のポエミーな独白によるタイトル回収と、のっけからとてつもない漫画が始まったという予感しか与えない。さらに読み進むうち、それぞれの視点から「私には秘密がある」という台詞と共に新事実が明かされてゆき、誰が何を知っていてどう思っているのか高度な情報戦と心理戦が繰り広げられていたことに驚愕させられる。最終巻に至っては、同性愛のみに留まらぬ性的多様性や、少数派の多数派に対する特権意識といった、生半可な覚悟では踏み込めない領域へも突入してしまう。恋愛という、ともすると冗長になりがちな題材を扱いながら、ここまで凄まじい情報量を無駄なく完璧な構成で纏め上げた手腕もまた圧巻だ。

 本作の最大の見所は何と言っても、三角関係百合の一角・琴岡みかげである。平素は己の感情を抑圧し隠蔽しつつも、時に溢れ出す想いに身を任せてしまったり、現状維持と破壊衝動との間で揺れ動き、余裕を失くしてつい残酷な振る舞いを取ってしまったりと、拗らせっぷりが実に危うく魅力的だ。その一挙手一投足に心を搔き乱され、どこまで行っても堂々巡りな思考に胸は張り裂けんばかり。暗い感情の籠った冷徹な視線にぞわぞわしながらも、いつか必ず幸せになって欲しいと心から願ってしまう。百合漫画史上最も刺さるヒロインと言っても過言ではない。刮目せよ。

 一方、残念でならないのは、どうやら打ち切りの憂き目を見たがために、いくつかの伏線が回収されず終盤の展開も駆け足になってしまったことだ。後書きの裏話で触れられていたように、琴岡や朝倉の過去はもっと掘り下げて欲しかったし、女装の露見やかっこいい告白の場面も見てみたかった。許すまじガンオン編集部。

 最後に、随所で話題を呼んだ最終巻カバー下について。本編の最後に司が考えていた通りの将来像を素直に提示しており、概ね予想の範囲内であった。それでも“3人組”は変わらないという結末は、とても尊く美しい。ただ、琴岡の「司はいつか“普通”になる子だから」は、「お前が勝手に他人の気もちを決めるな!!」という司の言葉によってメタ的に否定されたようにも思えるし、そもそも本作は一貫して、表面だけ見ても分からないような「秘密」を描いてきた。それ故、あの後日談を額面通り受け取るのも何となく憚られるのだ。いずれにせよ、作品をより味わい深くする良い余韻になっているのではないかと思う。

 “名前のない感情”に真正面からぶつかり、大胆かつ誠実に描き切った傑作。捩れて絡まり合う関係性、錯綜する想いの行方は、読めば読むほど辛く苦しく切なくなる。そのしんどさが堪らなく愛おしい。読まないと人生損している、確実に。

[百合の分類]1-4.駆け引きと対話

 

玄鉄絢『少女セクト』(2005)

 全2巻。初出はコアマガジンコミックメガストア』及び描き下ろし。

 百合エロの最高峰。女子校百合という触れ込みからは想像も付かない程にがっつりエロシーン満載ではあるが、巷に溢れ返る成人男性向け作品のように奇乳で汁塗れということはなく、写実的ではあれど品のある官能美が描かれる。心理描写も非常にしっかりしている上、細部まで丁寧に作り込まれた美麗な作画は目を瞠るものがある。難読人名を始めとする凝りに凝った設定や、ウィットに富んだ小粋な台詞回しは、やや通好みと言うか同人っぽい感じはするが、ありきたりな作品に飽き飽きした玄人には丁度良い濃厚かつ濃密な味わい。

 第1巻は毎回新しいカップリングが登場する1話完結、第2巻はそれまで狂言回しに甘んじていた2人の主人公・内藤桃子と藩田思信を主軸に据えて物語が進む。のっけから状況説明が殆ど為されず、最初は何が起こっているのか全く分からないという取っつき難さはあるが、読み進めてゆく内に世界観と人間関係が掴めてくる。一旦慣れてしまえば、一つの作品でこれだけ幅広く様々な関係性を楽しめるという贅沢な作りなのだと気付かされる。個人的には雪華と旦蕗のような拗らせ具合が大好き。

 全体的にポリアモリーを指向しているのも注目すべきところ。それが享楽的な性愛としてではなく、きちんと心情や関係性込みで肯定的に描かれているのも素晴らしい。10年前にここまで解放的な作品が存在したことに驚かされ、未だに百合の定義論争をうだうだ続けている連中がいるのもアホらしく思えてくる。

 百合漫画史上の名作の一つとして末長くその名を留めることは間違いない。とにかく過剰にして豊穣、豪華絢爛な作品世界に酔い痴れるべし。また、10年振りの新規描き下ろし「Extra Chapter III」がまとめ版のコンビニコミックに、スピンオフ作品「五十鈴のカウンター」が『イイタさんペイロード』第1巻に収録されているので、併せて読むことをお勧めする。

[百合の分類]1-4.駆け引きと対話

 

林家志弦『ストロベリーシェイク』(2015)

 全1巻。初出はマガジン・マガジン百合姉妹』、一迅社コミック百合姫』他。『百合姫』移籍時に題名を『ストロベリーシェイクSweet』と改め、2006~2009年に全2巻が刊行。これを原題に戻し、描き下ろしを加えた新装版として集英社より発行された。

 芸能界百合コメの決定版。冒頭はドタバタなギャグ漫画という色彩が濃いが、話が進むにつれて恋愛に焦点が当てられてゆき、終わってみれば王道の純愛漫画だったという絶妙さ。メインCPだけでなく、脇を固める百合キャラ達も物語を大いに盛り上げ、どこを取っても面白くエンタメとして精緻に完成されている。だらだらと長引かせず、引っ張る所ではとことんやきもきさせ、畳む所では一気に片を付けるというような、ぴりっとした緩急の付け方も好印象。

 ヘタレな樹里亜×天然の蘭の初心でピュアな恋愛に萌えるのは当然のこと、本作を秀作たらしめているのはずばりZLAYである。「メンバー全員女の子しか愛せない」4人組スーパービジュアルバンドである彼女ら、登場した当初は単なるギャグ要員かと思いきや、笑える台詞を吐きつつも実はそれが状況を的確に総括していたり、樹里亜と蘭の恋を進展させるきっかけを作ったりと、狂言回し兼サポート要員として作品の根幹を支える役回りを担っているのだ。しかもその言動をいちいち面白く仕立てることで、不自然さを感じさせず高いテンションを維持している。もはや神業と言っていい。

 登場人物の中で個人的に一番好きなのも、やはりZLAYのベース担当・レキ。メンバーの中で最も正統派の可愛らしい外見でありながら、殆ど表情を変えずにツッコミを入れたり毒舌を吐いたりするのが素敵。いつも喧しく調子乗りなリョウが、レキには頭が上がらず尻に敷かれているという関係性がツボであった。

 読んでいて、こうした直球の恋愛はラブコメに昇華させるのが一番合っていると改めて実感した。逆にシリアスな路線であれば、恋愛の儘ならなさや不毛さに踏み込んだ変化球が丁度良い。だから大真面目にピュア百合やったり、逆に変化球で強引に笑いを取ろうとしたりすると結果的に失敗してしまうのかなぁと思ったり。

[百合の分類]1-3.自覚と告白

 

コダマナオコ『コキュートス 完全版』(2016)

 中編2本、短編1本。初出は一迅社コミック百合姫』他。2014年に刊行されたA5判の旧版に未収録作品を加え、B6判の完全版として改めて発行された。

 『百合姫Wildrose』Vol.7で発表された読切「思春期メディカル」が追加されたことで、旧版に比べて作品集としての纏まりが良くなったという印象。思春期特有の生きづらさと百合の組み合わせは鉄板だが、それを単なる若さ故の過ちや一過性の現象と押し込めるのではなく、むしろ普遍的かつ恒久的なものとして拡張してゆくような思想がこの作品には備わっている。それが、学校の中で閉じた「コキュートス」と社会人への移行期を描いた「モラトリアム」の間に挟まることで、両者を一貫したテーマの下で有機的に繋げることに成功しているのだ。狙ってやったのならお見事。

 確かに、同性愛を社会への異議申し立てや反体制の旗印に掲げるようなことは、社会への包摂を望む当事者にとっては傍迷惑な行為かもしれない。ただ、それらのモチーフがかっちり嵌まってしまうのが現状であり、それを表現するなと言う方が土台無理なのではなかろうか。耽美的に「禁断の愛」を称揚するような無自覚や無配慮は問題だが、過敏に言葉尻を捉えるのも思考の枠を狭め、多様性を尊重しようという流れに逆行する。やはり、異性愛が背後の権力関係に無頓着では成立し得ないようになってしまったからこそ、これ程までに同性愛の物語への欲望が強まっているのだろうし、それは多様性の受容への足掛かりくらいにはなると思うのだが。

 それにしても、やはり「モラトリアム」には唸らされる。それぞれ思惑があって自分の望む通りに事を運ぼうと画策しているという一筋縄では行かない関係性とか、恋愛至上主義者と百合にセックスは不要論者の双方への皮肉やメタ批判として読める点とか、いちいち秀逸。作者自ら「おもしろい」とツイートするだけのことはある。

 ただ、完全版と銘打って出すのであれば、初出一覧くらいは付けてほしいところ。せっかく粒揃いの良作なのだから、保存版としての価値も考えてもらいたかったものだ。

[百合の分類]1-4.駆け引きと対話 他

 作品自体の感想はこちらも参照されたい。

yuri315.hatenablog.com

 

志村貴子『青い花』(2006)

 全8巻。初出は太田出版マンガ・エロティクス・エフ』及び描き下ろし。

 百合漫画界に燦然と輝く古典的名作。主軸に据えられるのは女子高生2人の恋愛だが、周辺の人物のヘテロ含む恋模様も等身大に描き込まれ、美しく繊細な青春群像劇に仕上がっている。胸が張り裂ける余り、やむなく読むのを小休止してしまう程の切なさと、自ずと笑みが零れる温かさに満ち溢れており、読み返す度に深い感動を味わえる。

 女子校を主な舞台としながらも、視野狭窄に陥らずここまでリアルな物語を紡ぎ得たのは、2人の主人公が別々の学校に通うことでそれぞれの人間関係を膨らませ、閉鎖的にも開放的にもなり過ぎなかったからだろう。登場人物の背景を分散させることで、ある程度ばらばらに自由な行動をさせつつ、空中分解することなく大きな流れを作り出している。そこに親子や姉妹といった家族関係も取り入れたことで、重層的で奥行きのある物語世界を構築したというわけだ。

 個人的には、大野織江さんと山科日向子さんのカップルが一番好き。本筋が遅々として進まない一方で、こういう生活感のある百合関係が脇を固めているのも、本作を極上の恋愛物語たらしめる所以の一つだろう。恋愛における障害は、当事者同士の実存的な葛藤と、周囲との関わりの中で発生する問題の2種類に大別される。あーちゃんとふみちゃんの関係性が前者中心な上にかなり理想的な形で完結するため、後者を中心的に扱った織江さんと日向子さんの話を付加することで、物語世界に多角的な視点を導入することに成功しているのだ。まあ、大人版の織江さんが外見的に最も好みというのもあるが。

 本作を超える百合漫画は当分出てこないだろう、そう思わせるには充分な出来。未読ならとにかく読むべし。百合に興味がない人にもお勧めできる作品だ。

[百合の分類]1-3.自覚と告白

 

仙石寛子『三日月の蜜』(2010)

 中編1本、短編11本。初出は芳文社まんがホーム』他。

 百合に限らず、異性愛、近親愛、人外など、一風変わった恋愛や恋愛未満の微妙な距離感を丁寧に描く。4コマ漫画の形式を取ってはいるが、4コマ毎に起承転結がきっかりあるわけではなく、単にコマが4つずつのストーリー漫画である。描画は繊細で温かく、また多くが恋愛の切なさを中心的に扱っており、これぞ少女漫画という味わい。

 百合を描いた作品は、全8話で構成された表題作、ほんわかした友情ものの「女子メガネ」、バニー×牛の「ちょっと早いけど干支」、王女×メイドの「一途な恋では」の4本。表題作は女×女×男の三角関係だが、軽い気持ちで付き合い始めた佐倉さんと桃子さんが徐々に惹かれ合ってゆくまでの感情の揺れ動きに寄り添っていて、むしろ直球のガールミーツガールと言えそう。「一途な恋では」は、春になれば姫が隣国に嫁いでしまうという悲恋百合。ただ叶わぬ恋を美化するのではなく、相手が自分の気持ちを信じてくれない、そんな恋なんて終わりにしたいという切ない想いに焦点を当てているところが実に読ませる。姫とメイドのユーモラスな掛け合いも楽しい。

 作者の真骨頂は、「ちょっと早いけど干支」のバニーさんと牛さんのいちゃいちゃに見られるような、人ならざるものがごく普通に登場する話だろう。「キラキラ青虫」は少年と青虫(♀)のヘテロものだが、二人(一人と一匹?)のコミカルな遣り取りがとても面白い。他にも雪男、人魚、守護霊など、独特の作品が多数収録されている。百合に留まらず様々な題材を同時に楽しめる贅沢な短編集だ。

 ちなみに、表題作の後日談が『この果実は誰のもの』に収録されている。カバー下で描きたいと言っていたBLも、これ以降に発表された作品で読むことが出来る。どれもおすすめなので、百合にしか興味がないという人も騙されたと思って手に取ってみて欲しい。

[百合の分類]1-3.自覚と告白 他

 

さかもと麻乃『沼、暗闇、夜の森』(2013)

 短編7本。初出は一迅社コミック百合姫』及び描き下ろし。

 どれも癖のある話で、普通から少しズレてはいても百合としての楽しみを踏み外さない。明と暗のバランスも良く、作者の豊かな感性と引き出しの多さに舌を巻くこと請け合いだ。

 冒頭の「魔少女」からして凄い。入念に仕組まれた構成、美しくも残酷な物語。恋が愛にならなかったという主題だけ取っても充分な読み応えがあるのに、そこにバラのトゲを抜くという比喩を効果的に入れ込んだのが実に巧い。恋愛を通した人間的成長というのは得てして美談になりがちだが、そうした健全な常識に疑問を投げ掛けるという大切かつ危険な視点を教えてくれる。

 それにも増して心を鷲掴みにされたのが表題作。わたし好みの素敵に怖いヤンデレ百合で、どこから妄想でどこから現実なのかいくらでも想像が膨らんでゆく。架空の話し相手を幽霊でなく「死人」と表現したところも、逆にリアルな不気味さを際立たせる。最後の黒田さんの意味有り気な微笑みと「これより1日が始まります」という締めの独白が、今後どうかなってしまうのかと不安を掻き立てる。ぞくりとする読後感が堪らない。

 他にも、遠景がなくともセカイ系は綺麗に成り立つのだと示す「世界の終わりとケイコとフーコ」、どこまでもシュールで楽しい「下着通り」「ケンカ」など、魅力的な作品が揃い踏み。一風変わった百合漫画を読みたい時にうってつけの一品。

 なお、本作も記事執筆時点で国立国会図書館に収蔵されていない。一迅社はちゃんと納本して下s(ry

 ※追記。2017年2月20日、国会図書館OPACに書誌情報が追加された模様(これ付け加えるの好い加減に面倒臭くなってきたな……

[百合の分類]1-4.駆け引きと対話 他

 

天野しゅにんた『私の世界を構成する塵のような何か。』(2012)

 全3巻。初出は一迅社コミック百合姫』及び描き下ろし。

 女子大生7人の青春群像劇。複雑に入り乱れた人間関係を飄々と描き出し、ドロドロ百合ながら非常に洗練された印象を受ける。それぞれの個性をしっかり掘り下げ、綺麗事や安易な解決に頼ることなく恋愛の一筋縄では行かぬ部分と向き合いつつも、こじれた関係性に納得のいく着地点を与えている。

 ファッション雑誌の恋愛讃美を弾劾するという掴みにまず引き込まれた。仮にそれが本当の愛なるものに目覚めるまでの前振りであったならば、世間一般の恋愛至上主義や規範的なジェンダー観に縛られた凡百の恋愛ものと変わらなかっただろう。しかし本作は、一貫して恋愛を理想化することなく「塵のような何か」として描く。第1巻で思わず祥の携帯を取り上げ恋心を自覚した留希や、第2巻の笙子と明日菜の別れは、清々しいまでに痛々しい。第3巻で留希と祥の辿り着いた結末も、決して生易しいハッピーエンドではない。しかしだからこそ、等身大で魅力的な人間ドラマに仕上がっているのだ。

 最初は彼氏の言いなりになってばかりの祥が生理的に受け付けなかったが、第3巻冒頭の「やらせたらおとなしくなるのは同じ」という独白からは一転して大好きになった。どうも闇を抱えたキャラには惹かれてしまう。いつも真面目できちんとした留希が、そんな祥にいいようにされて駄目な子になってしまうのも萌える。また、祥に彼女が出来たと告げられた際の妹の反応も素敵だ。家族の描写が全体的に少ない中、こうした形で祝福される場面が入っていて嬉しかった。

 なお、記事執筆時点で第3巻のみ国立国会図書館に収蔵されているが、第1巻と第2巻は入っていない。一迅社はちゃんと納本して下さい(3回目)

 ※追記。2017年2月20日、国会図書館OPACに1、2巻の書誌情報が追加された模様。

[百合の分類]1-4.駆け引きと対話

 

森島明子『瑠璃色の夢』(2009)

 短編7本。初出は一迅社コミック百合姫』及び描き下ろし。

 社会人百合の名手による珠玉の短編集。ふんわりと丸っこい絵柄で、明るくほのぼのとした作風が特徴。どの女性も可愛く人間味に溢れており、彼女達の甘く幸せな恋を見ているだけでほっこりする。身体を交わす描写もエロいと言うより想いが通じ合う様が伝わってきて心安らぐ感じ。描かれる愛も込められた愛も規格外だ。

 個人的に気に入ったのは、逆ギレからの逆告白が痛快な表題作、昔は恋人同士だったが今は恋のライバルという設定が光る「ハニー&マスタード」、微笑ましい喧嘩と仲直りを描いた「20乙女の季節~Virsin Season~」の3編。だが、本作を語る上でやはり外せないのが「追憶~ノスタルジー~」だ。恋愛・友愛・家族愛の融合した、百合の一つの到達点を感じる。百合漫画史上最も好感を持てる男性キャラかもしれない託人くんも見所の一つ。何度も読んでその深い味わいを堪能してほしい一品である。

 ちなみに、既刊や続刊との繋がりが多いのも本作の特徴。「20乙女の季節~Virsin Season~」「満月の夜には」は『楽園の条件』所収の「20娘×30乙女」「「攻」↔「守」」の後日談、「半熟腐女子」は『半熟女子』の番外編となっている。また『レンアイ♥女子課』に「ハニー&マスタード」の続編が、『初めて、彼女と。』には同作と表題作のサイドストーリーが収録されている。一冊だけでは物語の断片しか知ることが出来ないのは少し残念ではあるが、併せて読めば楽しさ倍増と肯定的に捉えるのが吉。

[百合の分類]1-3.自覚と告白/1-4.駆け引きと対話

 

森永みるく『GIRL FRIENDS』(2008)

 全5巻。初出は双葉社コミックハイ!』他。

 少女漫画系ガール・ミーツ・ガールの金字塔。女子高生まりとあっこの初々しく瑞々しい恋模様を描く。奇を衒わず堅実に積み上げてゆく王道の展開はいっそ素朴とも言えるが、画面は贅沢なまでに女の子の可愛らしさと初恋の眩しさに溢れた華やかな作り。巻の最後をキスで引き、次巻をキスの回想から始めるという繰り返しでテンポを付け、引き締まった構成になっている。

 無駄な寄り道や冗長な引き延ばしをせず直球で勝負しているところが、惚れ惚れするほど潔い。自分の気持ちに気付いて告白し、擦れ違いを経て両想いになり、付き合ってゆく中でお互いの気持ちを確かめ合う。そんなどこまでもベタなストーリーを陳腐に感じさせないのは、背景の日常生活や人物の心理描写に一切手を抜いていないからだろう。目配りの行き届いた、完成度の高い作品だ。

 また、脇を固めるキャラクターも重要な要素の一つである。たとえば、まりやあっこの友人・すぎさんは、相談に乗りつつ二人を見守るという恋愛ものには付きものの人物造形だが、決して上から目線で理解者ぶっているわけではない。第4巻で「本当の恋」に出会えないと悩む彼女は、ピュアな二人を羨ましがると共に、自分も本命を作ろうと励まされているのだ。このように、ただ恋愛を讃美するだけでなく別の視点から相対化することで、改めて二人の恋の美しさを噛み締めさせられるのだ。

 百合の入門書としては最適だと評されることが多く、自分もその意見に同意するのだが、どうやら記事執筆時点で品切重版未定となっているようである。そんな冷遇には全く相応しくない名作であり、勿体無さに涙が出てくる。読み返す度にきゅんきゅんし、ぎゃあああああと叫びながらのたうち回って萌え死にそうになり、最後には極上の多幸感に酔いしれる。おすすめ。

[百合の分類]1-3.自覚と告白

 

秋山はる『オクターヴ』(2008)

 全6巻。初出は講談社アフタヌーン』。

 社会人女性同士のカップルを写実的に描いた力作。恋愛を一切理想化せず、嫉妬、依存、承認欲求、自己嫌悪、未熟さゆえの諍いや擦れ違い、そして同性愛ならではの周囲の無理解など、とことん生々しく痛々しい展開が続く。弱さや不安を抱えた悩める若者が、いかに自己と他者に正面から向き合ってお互いの関係を築いてゆくかという問題意識を真剣に突き詰めており、百合好きでなくとも一読の価値はある。

 第2巻の行きずりの男と一夜を共にする展開が良くも悪くも注目されがちだが、個人的に「ここまでやるのか」と感じたのは、むしろ第5巻の地元の友人と決別する場面。主人公・雪乃に彼女が居ることを自分の彼氏に漏らし噂を広めてしまったにも拘らず、図々しくも彼氏を擁護しつつ謝罪した友人。それに対する「もう二度と会いたくない」という雪乃の独白に心を抉られる。想像力の欠如ゆえの邪悪な善意を手厳しく非難する名場面だ。

 百合に癒しや安らぎを求める人には全く向かないだろう。ふらふらと流されてばかりの雪乃を好きになれないという人も多いと思う。けれども、わたしは本作を萌えないからと切り捨てる人よりも、とてもリアルで共感できた、強く心を動かされたという人と仲良くしたいものである。

[百合の分類]1-4.駆け引きと対話

 

袴田めら『新装版 最後の制服』(2011)

 全2巻。初出は芳文社まんがタイムきららキャロット』『まんがタイムきららMAX』及び描き下ろし。2005~06年に刊行された全3巻をまとめ直し、つぼみシリーズにて改めて発行された。

 萌え系の可愛らしい絵柄に騙されてはいけない。女子高の学園寮で群像劇という、正統派の本格百合漫画だ。作中で「憧れの人の追っ掛け」に対する違和感を登場人物に表明させ、一時的な女子校のファンタジーとしての百合とは一線を画した点は天晴れと言う他ない。

 実る恋、突然の別れ、報われぬ想いと、物語は人によって様々だが、どれも真摯に、かつ温かく大切なものとして描いている。「体に触れたい」「もっと一緒に居たい」といった素直な気持ちに寄り添い、その延長線上に自然と性的な触れ合いも出てくるため、読んでいてとても納得できるし満ち足りた気分にさせてくれる。ノンケや男もしっかりと個性を持って登場し、作品世界に奥行きを与えている。ありふれた日常の風景、何気ない遣り取りの中にある、きらきら輝くかけがえのない時間を切り取った、何度でも読み返したくなる上質な作品である。

 各話の間に挿入されている「かってにさいごのせいふくこうさつ」が面白い。登場人物の絵の傍らに、キャラ設定や注目すべき萌え要素の短い説明が書き込まれており、作者の迸る愛と萌えへの飽くなきこだわりを感じさせられた。記号的な美少女キャラが氾濫する今日この頃、作り手の情熱は果たしてこれ程のものになっているのだろうかと思わず考えを巡らせてしまった。

[百合の分類]1-3.自覚と告白/1-4.駆け引きと対話

 

井村瑛『最低女神』(2012)

 短編7本。初出は一迅社コミック百合姫』、他に未発表作や描き下ろし等。

 柔らかな描線でふんわりとした可愛らしい女の子と、暗い感情が渦巻き翳のある人間模様の取り合わせが味わい深い。重めの設定が多く胸を締め付けられながらも、極端に殺伐とすることはなくどこか温もりを感じさせる。画力はやや不安定にも見えるが、それによって今にも壊れてしまいそうなひりひりした空気感を出せていると思う。

 「プラチナサンディ」は、滅びた世界という舞台設定が個人的にツボであった。極限状況における精神崩壊という物語展開は使い古されたものだが、その引き金を引いたのが友達だと思っていた同性からの告白ということで、上質な百合作品に仕上がっている。真実を隠蔽しつつ巧妙に伏線を張り、読者をあっと驚かせる手腕も鮮やかだ。

 デリヘル嬢×お嬢様の「リバーサル」も良いのだが、後日談として描き下ろされた「リバーシブル」の方が好みの絵柄。ツンデレ同士の掛け合いが何とも微笑ましい。救いの無いお話が続く中、最後のページの琴子の笑顔のお蔭で、ほっこりと温かな気持ちで読み終わるのも嬉しいところだ。

 なお、本作も記事執筆時点で国立国会図書館に収蔵されていない。一迅社はちゃんと納本して下さい(2回目)

 ※追記。2017年2月20日、国会図書館OPACに書誌情報が追加された模様。

[百合の分類]1,4-S