エル・カザド(2007)

 全26話。

 オリジナルアニメ。監督は真下耕一、制作はBee Train

 西部劇調のロードムービー。前2作から一転、眩しい太陽が似合う陽気で軽快な作風で、魔女やら何やらといった設定の重さを余り感じさせない。主題や脚本はそこまで深いものではなく、謎の解明や過去の探求も若干消化不良なまま終わってしまう。そうした従来突出していた要素が削ぎ落とされた代わりに、百合成分が圧倒的なまでに強化され、ナディとエリスが終始いちゃいちゃしながら旅を続けるという百合好きには堪らない素晴らしい作品に仕上がっている。

 このアニメ、何と言ってもエリスが可愛い。「いえっさ」あざと可愛すぎる。女性に対してはイエスマムだろとか野暮な突っ込みはしない方向でお願いします。そんなエリスがナディと旅する内に初めて湧き上がる様々な感情を経験し、徐々に深い絆で結ばれてゆく。こうなるとバカップルの会話で尺はほぼ埋まり、もう視聴者はにやにや笑うのを止められない。特に第19話、百合夫婦だと認めたも同然の会話は、まさに尊いの一言に尽きる。ラスボスとの対決をあっさり終わらせ、最終話を丸々後日談に使った点にも、2人の関係性をきっちり見せようという百合に優しい心意気を感じる。ガチ恋愛でない作品で、ここまで純度の高い百合を精製したものが他にあれば教えてもらいたいくらいだ。

 整合性の『NOIR』、過剰性の『MADLAX』に比すと、さしずめ百合萌えの『エル・カザド』といったところか。完成度で幾分か後れを取り、中身の無さでは群を抜くものの、だからこそ百合の美しさを存分に味わえるように出来ているのだ。

[百合の分類]2-4.バディ

 

コダマナオコ『コキュートス 完全版』(2016)

 中編2本、短編1本。初出は一迅社コミック百合姫』他。2014年に刊行されたA5判の旧版に未収録作品を加え、B6判の完全版として改めて発行された。

 『百合姫Wildrose』Vol.7で発表された読切「思春期メディカル」が追加されたことで、旧版に比べて作品集としての纏まりが良くなったという印象。思春期特有の生きづらさと百合の組み合わせは鉄板だが、それを単なる若さ故の過ちや一過性の現象と押し込めるのではなく、むしろ普遍的かつ恒久的なものとして拡張してゆくような思想がこの作品には備わっている。それが、学校の中で閉じた「コキュートス」と社会人への移行期を描いた「モラトリアム」の間に挟まることで、両者を一貫したテーマの下で有機的に繋げることに成功しているのだ。狙ってやったのならお見事。

 確かに、同性愛を社会への異議申し立てや反体制の旗印に掲げるようなことは、社会への包摂を望む当事者にとっては傍迷惑な行為かもしれない。ただ、それらのモチーフがかっちり嵌まってしまうのが現状であり、それを表現するなと言う方が土台無理なのではなかろうか。耽美的に「禁断の愛」を称揚するような無自覚や無配慮は問題だが、過敏に言葉尻を捉えるのも思考の枠を狭め、多様性を尊重しようという流れに逆行する。やはり、異性愛が背後の権力関係に無頓着では成立し得ないようになってしまったからこそ、これ程までに同性愛の物語への欲望が強まっているのだろうし、それは多様性の受容への足掛かりくらいにはなると思うのだが。

 それにしても、やはり「モラトリアム」には唸らされる。それぞれ思惑があって自分の望む通りに事を運ぼうと画策しているという一筋縄では行かない関係性とか、恋愛至上主義者と百合にセックスは不要論者の双方への皮肉やメタ批判として読める点とか、いちいち秀逸。作者自ら「おもしろい」とツイートするだけのことはある。

 ただ、完全版と銘打って出すのであれば、初出一覧くらいは付けてほしいところ。せっかく粒揃いの良作なのだから、保存版としての価値も考えてもらいたかったものだ。

[百合の分類]1-4.駆け引きと対話 他

 作品自体の感想はこちらも参照されたい。

yuri315.hatenablog.com

 

MADLAX(2004)

 全26話。

 オリジナルアニメ。監督は真下耕一、制作はBee Train

 舞台は戦場、敵は情報犯罪組織と、『NOIR』に比べて血生臭く陰鬱な作風。随所に謎や伏線を散りばめた複雑かつ難解なストーリー、セカイ系的な世界観、強いメッセージ性、陰謀論めいた設定、古代文字や呪文といった厨二病な小道具、天然お嬢様やメイドといった確信犯な萌えキャラ達、そして乱立する百合フラグ等々、てんでばらばらな要素がこれでもかと過剰なまでに詰め込まれているにも拘らず、やはり落ち着いた雰囲気に纏まっているのは演出と音楽の為せる業か。

 前述のように本作では百合フラグをばんばん立てており、そこかしこで繰り広げられるいちゃいちゃやら一方通行やらをにやにや眺めて楽しむという仕様になっているのだが、そんな愛らしい登場人物達が終盤ばたばたと死んでしまうため、とてもやるせない心持ちにさせられる。特に、マドラックスが見逃したせいでリメルダにヴァネッサが撃ち殺されたのに、結局そのリメルダとくっ付いてしまうという展開には全く納得が行かなかった。ただ、第24話でエリノアの本質が示される場面を筆頭に見所が沢山あるのもまた事実、評価の難しいところである。

 一応、人間の本質は衝動か理性かという哲学的な主題を扱ってはいるのだが、基本的には深く考えず流れに身を任せて良いだろう。挿入歌「nowhere」、俗に言う「ヤンマーニ」の無双銃撃戦の映像的快楽で一点突破しており、そこを楽しめれば問題ない。そうした抜きん出た部分が多い反面、全体としてはとっ散らかり過ぎて総合的評価が低くなりがちな作品ではあるが、所謂「美少女ガンアクション三部作」の中では最高傑作と言っても良いのではないかと思う。百合が比較的薄いのが返す返すも残念。

[百合の分類]2-4.バディ

 

志村貴子『青い花』(2006)

 全8巻。初出は太田出版マンガ・エロティクス・エフ』及び描き下ろし。

 百合漫画界に燦然と輝く古典的名作。主軸に据えられるのは女子高生2人の恋愛だが、周辺の人物のヘテロ含む恋模様も等身大に描き込まれ、美しく繊細な青春群像劇に仕上がっている。胸が張り裂ける余り、やむなく読むのを小休止してしまう程の切なさと、自ずと笑みが零れる温かさに満ち溢れており、読み返す度に深い感動を味わえる。

 女子校を主な舞台としながらも、視野狭窄に陥らずここまでリアルな物語を紡ぎ得たのは、2人の主人公が別々の学校に通うことでそれぞれの人間関係を膨らませ、閉鎖的にも開放的にもなり過ぎなかったからだろう。登場人物の背景を分散させることで、ある程度ばらばらに自由な行動をさせつつ、空中分解することなく大きな流れを作り出している。そこに親子や姉妹といった家族関係も取り入れたことで、重層的で奥行きのある物語世界を構築したというわけだ。

 個人的には、大野織江さんと山科日向子さんのカップルが一番好き。本筋が遅々として進まない一方で、こういう生活感のある百合関係が脇を固めているのも、本作を極上の恋愛物語たらしめる所以の一つだろう。恋愛における障害は、当事者同士の実存的な葛藤と、周囲との関わりの中で発生する問題の2種類に大別される。あーちゃんとふみちゃんの関係性が前者中心な上にかなり理想的な形で完結するため、後者を中心的に扱った織江さんと日向子さんの話を付加することで、物語世界に多角的な視点を導入することに成功しているのだ。まあ、大人版の織江さんが外見的に最も好みというのもあるが。

 本作を超える百合漫画は当分出てこないだろう、そう思わせるには充分な出来。未読ならとにかく読むべし。百合に興味がない人にもお勧めできる作品だ。

[百合の分類]1-3.自覚と告白

 

NOIR(2001)

 全26話。

 オリジナルアニメ。監督は真下耕一、制作はBee Train

 真下耕一の独特な間を取った演出と、梶浦由記の美麗な音楽が組み合わさった極上の雰囲気百合アニメ。ゆったりと落ち着いたテンポで、余計な説明を排して静かに淡々と進行する作りが特徴的だ。美少女が拳銃をぶっ放し無双するというご都合主義展開ではあれど、徹底的にやり切ることで洗練された様式美として昇華させている。

 舞台は裏社会、敵は秘密結社という重厚な設定は、ハードボイルドなガンアクションをやるにはうってつけだ。ソルダ内部における現実主義と原理主義の対立というのもいかにもありそうで説得力がある。物語の構造がすっきりしているお蔭で、あれこれ無駄なことを考えずに作品に入り込めるというわけだ。中途半端な小細工をしていない分、本筋が予定調和的にこぢんまりと纏まってしまい、裏稼業の非情さを描いた一話完結の話の方が見応えがあるというきらいはあるが、そこは演出と音楽の効果で充分に補えているだろう。むしろ、本作は「銃と少女」というテーマをいかに美しく見せるかという表現技法を追求したものであり、設定や脚本に難癖を付けるのは野暮というものである。

 見所は、バディものから三角関係へ発展する百合展開。最初はミレイユと霧香が暗殺者コンビ「ノワール」を結成し、少しずつパートナーとしてお互いを信頼し合うようになってゆくが、物語が進むにつれて霧香とクロエの二人が本来ノワールになるべき存在として育てられたということが明らかになる。この、せっかく夫婦になれたのに実は相手には本妻がいたんだ!という感じが実に百合である。欲を言うならば、クロエを更に掘り下げた上でミレイユや霧香に匹敵する程の可愛く魅力的なキャラクター造形にした方が、三角関係をもっと盛り上げることが出来たのではないか。

 一つひとつの要素の完成度が高く、観る者の期待を裏切らない。お洒落アニメの一つの到達点と言えよう。

[百合の分類]2-4.バディ

 

仙石寛子『三日月の蜜』(2010)

 中編1本、短編11本。初出は芳文社まんがホーム』他。

 百合に限らず、異性愛、近親愛、人外など、一風変わった恋愛や恋愛未満の微妙な距離感を丁寧に描く。4コマ漫画の形式を取ってはいるが、4コマ毎に起承転結がきっかりあるわけではなく、単にコマが4つずつのストーリー漫画である。描画は繊細で温かく、また多くが恋愛の切なさを中心的に扱っており、これぞ少女漫画という味わい。

 百合を描いた作品は、全8話で構成された表題作、ほんわかした友情ものの「女子メガネ」、バニー×牛の「ちょっと早いけど干支」、王女×メイドの「一途な恋では」の4本。表題作は女×女×男の三角関係だが、軽い気持ちで付き合い始めた佐倉さんと桃子さんが徐々に惹かれ合ってゆくまでの感情の揺れ動きに寄り添っていて、むしろ直球のガールミーツガールと言えそう。「一途な恋では」は、春になれば姫が隣国に嫁いでしまうという悲恋百合。ただ叶わぬ恋を美化するのではなく、相手が自分の気持ちを信じてくれない、そんな恋なんて終わりにしたいという切ない想いに焦点を当てているところが実に読ませる。姫とメイドのユーモラスな掛け合いも楽しい。

 作者の真骨頂は、「ちょっと早いけど干支」のバニーさんと牛さんのいちゃいちゃに見られるような、人ならざるものがごく普通に登場する話だろう。「キラキラ青虫」は少年と青虫(♀)のヘテロものだが、二人(一人と一匹?)のコミカルな遣り取りがとても面白い。他にも雪男、人魚、守護霊など、独特の作品が多数収録されている。百合に留まらず様々な題材を同時に楽しめる贅沢な短編集だ。

 ちなみに、表題作の後日談が『この果実は誰のもの』に収録されている。カバー下で描きたいと言っていたBLも、これ以降に発表された作品で読むことが出来る。どれもおすすめなので、百合にしか興味がないという人も騙されたと思って手に取ってみて欲しい。

[百合の分類]1-3.自覚と告白 他

 

灰羽連盟(2002)

 全13話。

 原作は安倍吉俊の同人誌『オールドホームの灰羽達』。監督はところともかず、制作はRADIX

 静謐な雰囲気、幻想的な世界観、淡々と進む展開、落ち着いた演出と、どれを取っても美しく癒される。贖罪と救済という宗教的な題材を扱ってはいるが、絶対他者などではなく罪と向き合う主体としての自己の在り様に焦点を当てており、これもまた実存不安を問題化した作品であると言える。

 ラッカがレキを救うには「罪を知る者に罪は無い」という罪の輪から抜け出さねばならないというのが物語の骨子。レキは良い灰羽になろうと他人に親切に振る舞うが、それは救済を目的とする自己本位な行動だと自分を責めるという悪循環に苦しんでいた。そのような救済を拒否する自罰意識を告白・克服し、拒絶を恐れずに自らラッカに助けを求めることが必要であり、ラッカもまたレキの絶望や嫉妬を理解し受け止めた上で助けようとしなければならない。救う者と救われる者との間に横たわる断絶を綺麗事抜きで丹念に描き出し、両者の魂の救済へと昇華させた最終話は圧巻であった。百合的にも有数の神回だろう。

 基本的に寓話であり、灰羽やグリの街が何を表しているかは特に重要ではない。雰囲気と百合を穏やかに楽しむことに特化しており、派手な興奮こそないものの深い感動を得られる。ただ、一言文句を言わせてもらうと、他人の部屋で喫煙するという描写に若干腹が立った。煙草の臭いが服やベッドに移ることに頓着しない作り手の無神経さが透けて見えたからだ。その辺の気配りが足りていれば胸を張って名作と紹介できたのになぁと惜しいところである。

[百合の分類]2-3.シェルター

 

さかもと麻乃『沼、暗闇、夜の森』(2013)

 短編7本。初出は一迅社コミック百合姫』及び描き下ろし。

 どれも癖のある話で、普通から少しズレてはいても百合としての楽しみを踏み外さない。明と暗のバランスも良く、作者の豊かな感性と引き出しの多さに舌を巻くこと請け合いだ。

 冒頭の「魔少女」からして凄い。入念に仕組まれた構成、美しくも残酷な物語。恋が愛にならなかったという主題だけ取っても充分な読み応えがあるのに、そこにバラのトゲを抜くという比喩を効果的に入れ込んだのが実に巧い。恋愛を通した人間的成長というのは得てして美談になりがちだが、そうした健全な常識に疑問を投げ掛けるという大切かつ危険な視点を教えてくれる。

 それにも増して心を鷲掴みにされたのが表題作。わたし好みの素敵に怖いヤンデレ百合で、どこから妄想でどこから現実なのかいくらでも想像が膨らんでゆく。架空の話し相手を幽霊でなく「死人」と表現したところも、逆にリアルな不気味さを際立たせる。最後の黒田さんの意味有り気な微笑みと「これより1日が始まります」という締めの独白が、今後どうかなってしまうのかと不安を掻き立てる。ぞくりとする読後感が堪らない。

 他にも、遠景がなくともセカイ系は綺麗に成り立つのだと示す「世界の終わりとケイコとフーコ」、どこまでもシュールで楽しい「下着通り」「ケンカ」など、魅力的な作品が揃い踏み。一風変わった百合漫画を読みたい時にうってつけの一品。

 なお、本作も記事執筆時点で国立国会図書館に収蔵されていない。一迅社はちゃんと納本して下s(ry

 ※追記。2017年2月20日、国会図書館OPACに書誌情報が追加された模様(これ付け加えるの好い加減に面倒臭くなってきたな……

[百合の分類]1-4.駆け引きと対話 他

 

serial experiments lain(1998)

 全13話。

 オリジナルアニメ。監督は中村隆太郎、制作はトライアングルスタッフ

 良くも悪くも実験的な作品。前半は断片的な情報しか提示せず、後半からようやく事件の顛末や世界観の全貌が姿を現し始める。それでも、どこからどこまでが本当に起こったことなのか曖昧にするような演出や、嘘や誤解を放置したまま進む展開のせいで、多くの謎を残す難解な物語となっている。仮想世界「ワイヤード」が現実世界「リアルワールド」を書き替えてゆくという典型的なサイバーパンクでありながら、最後には科学技術による世界認識の拡張よりも人間の自我に基づく実存的な意思を肯定した点は興味深かった。

 百合を期待して観るものでは全くないが、第12話で玲音がありすを「繋げる」ことを拒否する場面は百合として大変尊いものになっている。確かに繋げてしまえば思い通りにはなるだろうが、それでは「ありすが好き」という気持ちが届いたことにはならないのだ。胸に手をやらせて心臓の鼓動を聞かせるというまさに百合的お約束展開が美しい。結局想いは叶わず、最終話で玲音はありすのために世界から自身の記録を抹消し、誰からも認識されない存在となるのだが、それでも「ずっと一緒にいる」という意思を拠り所にして生き続けることを選ぶ。報われぬ片想いを回りくどく大掛かりに謳い上げたと言えなくもない。

 人を選ぶカルトアニメであることは間違いないし、ぶっちゃけ然程面白くもない。ただ、不気味で不安を煽る独特の雰囲気や、視聴者の立脚点までもぐらつかせるような実験的映像は、今時の萌えアニメに慣れた者には新鮮な驚きをもたらしてくれるだろう。一見の価値ある怪作である。

[百合の分類]2-5.偏愛

 

天野しゅにんた『私の世界を構成する塵のような何か。』(2012)

 全3巻。初出は一迅社コミック百合姫』及び描き下ろし。

 女子大生7人の青春群像劇。複雑に入り乱れた人間関係を飄々と描き出し、ドロドロ百合ながら非常に洗練された印象を受ける。それぞれの個性をしっかり掘り下げ、綺麗事や安易な解決に頼ることなく恋愛の一筋縄では行かぬ部分と向き合いつつも、こじれた関係性に納得のいく着地点を与えている。

 ファッション雑誌の恋愛讃美を弾劾するという掴みにまず引き込まれた。仮にそれが本当の愛なるものに目覚めるまでの前振りであったならば、世間一般の恋愛至上主義や規範的なジェンダー観に縛られた凡百の恋愛ものと変わらなかっただろう。しかし本作は、一貫して恋愛を理想化することなく「塵のような何か」として描く。第1巻で思わず祥の携帯を取り上げ恋心を自覚した留希や、第2巻の笙子と明日菜の別れは、清々しいまでに痛々しい。第3巻で留希と祥の辿り着いた結末も、決して生易しいハッピーエンドではない。しかしだからこそ、等身大で魅力的な人間ドラマに仕上がっているのだ。

 最初は彼氏の言いなりになってばかりの祥が生理的に受け付けなかったが、第3巻冒頭の「やらせたらおとなしくなるのは同じ」という独白からは一転して大好きになった。どうも闇を抱えたキャラには惹かれてしまう。いつも真面目できちんとした留希が、そんな祥にいいようにされて駄目な子になってしまうのも萌える。また、祥に彼女が出来たと告げられた際の妹の反応も素敵だ。家族の描写が全体的に少ない中、こうした形で祝福される場面が入っていて嬉しかった。

 なお、記事執筆時点で第3巻のみ国立国会図書館に収蔵されているが、第1巻と第2巻は入っていない。一迅社はちゃんと納本して下さい(3回目)

 ※追記。2017年2月20日、国会図書館OPACに1、2巻の書誌情報が追加された模様。

[百合の分類]1-4.駆け引きと対話

 

ユリ熊嵐(2015)

 全12話。

 オリジナルアニメ。監督は幾原邦彦、制作はSILVER LINK.。キャラクター原案は前回記事を書いた『瑠璃色の夢』の著者・森島明子

 「スキを諦めなければ世界は変わる」という主張は過去作と通底する。世界観は『ピングドラム』から更に進展し、何者にもなれない者たちが、悪の選別と排除による集団の防衛という第三の生存戦略を無意識的に講じて「透明な嵐」として君臨している。言わば「こどもブロイラー」の内面化であり、透明な存在として場の空気に意思決定を委ねることで実存不安を回避しているのだ。しかし同時に、「断絶の壁」の向こう側とは絶えず緊張状態にあるし、こちら側でも周囲から浮いた異質な言動を取ると「排除の儀」によって疎外されるという恐怖に常に晒されている。本作は、そのような同調圧力の構図を個人が一気に変えることは難しくとも、「スキ」を貫くことでゆっくりとでも変革の連鎖を起こしてゆけるのだという希望を示す。最終話、紅羽と銀子は「約束のキス」を交わして現世から退場するが、その瞬間を目撃した亜依撃子とメカこのみの間で新たなスキが芽生える。実際に「世界はあなたのスキで目覚め変わってゆく」ことを見せ、この物語は「あなた」の物語ですよと視聴者に投げ掛けることで、『ウテナ』の劇場版でも部分的に示されていた脱出の継承という思想がより鮮明に伝わってきた。

 愛の様々な形を、3話毎に交代する敵によって表現するという構成が秀逸だ。透明な嵐に上手く乗っかりつつ、その場のノリと利己的な欲望に衝き動かされる百合園蜜子。完全には透明になりきれず、実際は承認を求めていた針島薫。相手を己の理想のまま留めておくことが叶わず、ひたすら心の空虚さを埋めようとし続けた箱仲ユリーカ。そして、自覚的に思考停止し透明であり続けることを選択した大木蝶子。彼女達は皆「本物のスキ」を見つけることは出来ない。嫉妬や傲慢といった罪を認め、醜い自己を破壊しなければ「約束のキス」は交わせない。ここまで多角的に愛を描いてきたからこそ、そんな当たり前すぎて残酷なことを躊躇なく言い切ってのけるだけの物語強度を生み出している。

 そして百合である。しれっと人物紹介に表示される「ユリ」の二文字に呆気に取られ、肌色まみれのユリ承認や濃厚に絡み合うユリアムールに笑いを誘われ、実は直球で百合恋愛を描いてくるところに胸を打たれる。特に、るるの一途な片想いには思わず涙してしまう。「私はスキを諦めない、キスを諦めます」というるるの台詞には、これ以上に美しい片想いの表現があるだろうかと感嘆させられた。るる可愛いよるる。

 1クールと短く、前2作に比べて寓話としての抽象度が高かったせいもあって、思想が凝縮されて破壊力抜群になっている。耳に残る独特の決め台詞はますます磨きが掛かり、ケレン味溢れる演出や、映像にぴったり嵌った音楽も絶好調。示唆に富む社会批判と濃密な百合の詰まった異色の傑作。

[百合の分類]1-3.自覚と告白 他

 

森島明子『瑠璃色の夢』(2009)

 短編7本。初出は一迅社コミック百合姫』及び描き下ろし。

 社会人百合の名手による珠玉の短編集。ふんわりと丸っこい絵柄で、明るくほのぼのとした作風が特徴。どの女性も可愛く人間味に溢れており、彼女達の甘く幸せな恋を見ているだけでほっこりする。身体を交わす描写もエロいと言うより想いが通じ合う様が伝わってきて心安らぐ感じ。描かれる愛も込められた愛も規格外だ。

 個人的に気に入ったのは、逆ギレからの逆告白が痛快な表題作、昔は恋人同士だったが今は恋のライバルという設定が光る「ハニー&マスタード」、微笑ましい喧嘩と仲直りを描いた「20乙女の季節~Virsin Season~」の3編。だが、本作を語る上でやはり外せないのが「追憶~ノスタルジー~」だ。恋愛・友愛・家族愛の融合した、百合の一つの到達点を感じる。百合漫画史上最も好感を持てる男性キャラかもしれない託人くんも見所の一つ。何度も読んでその深い味わいを堪能してほしい一品である。

 ちなみに、既刊や続刊との繋がりが多いのも本作の特徴。「20乙女の季節~Virsin Season~」「満月の夜には」は『楽園の条件』所収の「20娘×30乙女」「「攻」↔「守」」の後日談、「半熟腐女子」は『半熟女子』の番外編となっている。また『レンアイ♥女子課』に「ハニー&マスタード」の続編が、『初めて、彼女と。』には同作と表題作のサイドストーリーが収録されている。一冊だけでは物語の断片しか知ることが出来ないのは少し残念ではあるが、併せて読めば楽しさ倍増と肯定的に捉えるのが吉。

[百合の分類]1-3.自覚と告白/1-4.駆け引きと対話

 

輪るピングドラム(2011)

 全24話。

 オリジナルアニメ。監督は幾原邦彦、制作はBrain's Base。

 「愛も罪も分け合って運命を乗り換える」という発想は基本的に『ウテナ 』から引き継がれたもの。ただ物語の構造はやや複雑になり、主題も世界からの脱出よりは小さな共同体の防衛という色彩が濃い。殆どの登場人物は過去のトラウマを引きずって自己を肯定できずにいる「きっと何者にもなれない」者だ。そのうち多蕗とゆり、それに苹果は、自分達にとっての「永遠のもの」である桃果を取り戻そうとする『ウテナ』的人物である。一方、高倉兄弟や真砂子は最初から「永遠のもの」なる幻想が失われた時代に生き、代わりに「15年前の呪い」に支配されている。それは即ち、かつて「世界の果て」が主張したような、柩の中で生きながら死ぬという生存戦略不在の生き方はもはや不可能だと、予め自覚されているということだ。彼ら彼女らが何者かになるためには、運命の果実を一緒に食べるという「救い」を目指すか、いっそ世界を破壊してしまえという「呪い」の手に落ちるかという、いずれかの生存戦略を選択せねばならない。更に「救い」により運命を乗り換えるためには自己犠牲という代償も要求されるが、これによって絆で結ばれた小さな世界を守ることは出来る。極めて過酷な、現代を言い表した世界観である。

 感心したのは、桃果と眞悧が同じ風景を見ていたという箇所だ。何者にもなれないという悲鳴に満ちた世界への応答という意味で、救いと呪いは同根の存在なのだ。直情的に善悪を切り分けるのではなく、かと言って結局どれも偽善に過ぎないと冷笑的になるのでもない、透徹した批判精神が発揮されている。また、本作は明らかに地下鉄サリン事件を題材としているものの、眞悧やピングフォースは現実の人物・団体からは大きくかけ離れた描き方をされている。それにより、上記のような呪いの構造は、かえって鋭く事件の本質を言い当てているのかもしれないと思わせられる。上手い料理の仕方だ。

 百合的には、何と言っても第15話「世界を救う者」が神回。ゆりと桃果の過去が回想されるのだが、二人の心の交流が少しずつ深まってゆき、「灰色の水曜日」を流しつつ病室のラストシーンに至るという流れが大変美しい。激しく打ち付けられる鑿の音、父親の台詞で突然BGMがぶつ切りになるなど、音響演出も冴え渡る。前話から続くゆりが苹果を襲う場面もエロい。百合要素はこの辺りにしかないにも拘らず相当な存在感を放っており、この回のためだけに全話鑑賞する価値はある。また、最後に陽毬と苹果の二人が残されるのなら、途中もっと百合百合な描写を入れて欲しかったが、晶馬を取り合っている割には不穏さが抑えられていたとは思う。

 現時点で幾原作品の中では一番好き。思想先行で物語性に乏しい作風であるが故に、多視点の物語が一つに収斂してゆくという群像劇の手法が合っているし、お家芸バンクシーンの映像的快楽は他の追随を許さない。やくしまるえつこのOP「ノルニル」「少年よ我に帰れ」も世界観に合っていて良い。こういう革新的なアニメこそもっと観てみたいと切に願う。

[百合の分類]2-5.偏愛(脇筋)

 

森永みるく『GIRL FRIENDS』(2008)

 全5巻。初出は双葉社コミックハイ!』他。

 少女漫画系ガール・ミーツ・ガールの金字塔。女子高生まりとあっこの初々しく瑞々しい恋模様を描く。奇を衒わず堅実に積み上げてゆく王道の展開はいっそ素朴とも言えるが、画面は贅沢なまでに女の子の可愛らしさと初恋の眩しさに溢れた華やかな作り。巻の最後をキスで引き、次巻をキスの回想から始めるという繰り返しでテンポを付け、引き締まった構成になっている。

 無駄な寄り道や冗長な引き延ばしをせず直球で勝負しているところが、惚れ惚れするほど潔い。自分の気持ちに気付いて告白し、擦れ違いを経て両想いになり、付き合ってゆく中でお互いの気持ちを確かめ合う。そんなどこまでもベタなストーリーを陳腐に感じさせないのは、背景の日常生活や人物の心理描写に一切手を抜いていないからだろう。目配りの行き届いた、完成度の高い作品だ。

 また、脇を固めるキャラクターも重要な要素の一つである。たとえば、まりやあっこの友人・すぎさんは、相談に乗りつつ二人を見守るという恋愛ものには付きものの人物造形だが、決して上から目線で理解者ぶっているわけではない。第4巻で「本当の恋」に出会えないと悩む彼女は、ピュアな二人を羨ましがると共に、自分も本命を作ろうと励まされているのだ。このように、ただ恋愛を讃美するだけでなく別の視点から相対化することで、改めて二人の恋の美しさを噛み締めさせられるのだ。

 百合の入門書としては最適だと評されることが多く、自分もその意見に同意するのだが、どうやら記事執筆時点で品切重版未定となっているようである。そんな冷遇には全く相応しくない名作であり、勿体無さに涙が出てくる。読み返す度にきゅんきゅんし、ぎゃあああああと叫びながらのたうち回って萌え死にそうになり、最後には極上の多幸感に酔いしれる。おすすめ。

[百合の分類]1-3.自覚と告白

 

少女革命ウテナ(1997)

 全39話、映画1本。

 オリジナルアニメ。監督は幾原邦彦、制作はJ.C.STAFF

 本作に限らず幾原作品は難解だと言われることが多いが、ストーリー自体は割合に単純だ。それを難しく見せているのはシュールな演劇調の演出であり、真に難解なのは幾重にも張り巡らされたメタファーの解釈である。

 主題は「殻を破る」「世界を革命する」即ち「いかに既存の規範から自由になるか」。最終話、ウテナはアンシーの心の殻を破るという形で世界を革命して学園から姿を消し、アンシーがウテナを見つけに自ら学園を出て行く。それは暁生の世界から心身共に脱出するということであり、王子様がお姫様を救って幸せになるというジェンダー規範から解放された対等な関係を結ぶということでもある。ウテナが王子様としてアンシーを救う方がすっきりした結末にはなっただろうが、それではアンシーの支配者が暁生からウテナに交代するだけで、権力構造は維持されてしまう。作り手が決して妥協せず、伝えたいテーマを貫き通していることが窺える。

 ただ、劇場版『アドゥレセンス黙示録』において、二人の行く手に新たな城が聳え立っていることが示しているように、殻を破って行き着く先も元いた学園と同じ閉塞した世界、「世界の果て」でしかないのかもしれない。しかし、それでも二人は自分たちの意志で外へ出ることを選択する。現状を維持しようが打破しようが結局何らかの制約や束縛を受けるのだと引き籠るのではなく、同じように世界に違和感を覚える共犯者を見つけて一緒に新天地を目指せというわけだ。この「愛する人と世界を革命する」という思想は他の幾原作品にも共通して見られる。

 このように、本作は「いかなる愛なら可能か」といったところを追究しており、ウテナとアンシーもその象徴という側面が強く、簡単に百合と言ってよいものか躊躇われる。2人の関係性が作品の核心であるのは確かだが、TVシリーズ全体を通して見ると百合な絡みは決して多いとは言えない。樹璃の枝織への想いも全く報われないし。ところが劇場版では、一転してウテナとアンシーの百合度が急上昇する。ベッドに入っていやらしい手つきで撫で回したり、唐突に二人で踊り出したり、ヌードモデルをさせたり、最後には疾走しつつ全裸で絡み合って濃厚なキスを交わしたりと、自分でも書いていて一体何やねんこれはと脱力するほど百合ん百合んな映像のオンパレード。やはり百合を語る上では外せない作品の一つであろう。

 正直に言うと、TVシリーズ序盤はさほど面白いとは感じられなかった。毎回似たような決闘の連続で飽きてくるし、ウテナは無邪気な善意を振りかざしているだけのようにも思えたからだ。しかし、終盤に近付くにつれて真相が明らかになり、加速度的に話に引き込まれていった。物語を大胆に再構成しつつ主題を掘り下げた劇場版も素晴らしい。アニメーションという媒体を活かしきった傑作。

[百合の分類]2-3.シェルター/1-4.駆け引きと対話(脇筋)