輪るピングドラム(2011)

 全24話。

 オリジナルアニメ。監督は幾原邦彦、制作はBrain's Base。

 「愛も罪も分け合って運命を乗り換える」という発想は基本的に『ウテナ 』から引き継がれたもの。ただ物語の構造はやや複雑になり、主題も世界からの脱出よりは小さな共同体の防衛という色彩が濃い。殆どの登場人物は過去のトラウマを引きずって自己を肯定できずにいる「きっと何者にもなれない」者だ。そのうち多蕗とゆり、それに苹果は、自分達にとっての「永遠のもの」である桃果を取り戻そうとする『ウテナ』的人物である。一方、高倉兄弟や真砂子は最初から「永遠のもの」なる幻想が失われた時代に生き、代わりに「15年前の呪い」に支配されている。それは即ち、かつて「世界の果て」が主張したような、柩の中で生きながら死ぬという生存戦略不在の生き方はもはや不可能だと、予め自覚されているということだ。彼ら彼女らが何者かになるためには、運命の果実を一緒に食べるという「救い」を目指すか、いっそ世界を破壊してしまえという「呪い」の手に落ちるかという、いずれかの生存戦略を選択せねばならない。更に「救い」により運命を乗り換えるためには自己犠牲という代償も要求されるが、これによって絆で結ばれた小さな世界を守ることは出来る。極めて過酷な、現代を言い表した世界観である。

 感心したのは、桃果と眞悧が同じ風景を見ていたという箇所だ。何者にもなれないという悲鳴に満ちた世界への応答という意味で、救いと呪いは同根の存在なのだ。直情的に善悪を切り分けるのではなく、かと言って結局どれも偽善に過ぎないと冷笑的になるのでもない、透徹した批判精神が発揮されている。また、本作は明らかに地下鉄サリン事件を題材としているものの、眞悧やピングフォースは現実の人物・団体からは大きくかけ離れた描き方をされている。それにより、上記のような呪いの構造は、かえって鋭く事件の本質を言い当てているのかもしれないと思わせられる。上手い料理の仕方だ。

 百合的には、何と言っても第15話「世界を救う者」が神回。ゆりと桃果の過去が回想されるのだが、二人の心の交流が少しずつ深まってゆき、「灰色の水曜日」を流しつつ病室のラストシーンに至るという流れが大変美しい。激しく打ち付けられる鑿の音、父親の台詞で突然BGMがぶつ切りになるなど、音響演出も冴え渡る。前話から続くゆりが苹果を襲う場面もエロい。百合要素はこの辺りにしかないにも拘らず相当な存在感を放っており、この回のためだけに全話鑑賞する価値はある。また、最後に陽毬と苹果の二人が残されるのなら、途中もっと百合百合な描写を入れて欲しかったが、晶馬を取り合っている割には不穏さが抑えられていたとは思う。

 現時点で幾原作品の中では一番好き。思想先行で物語性に乏しい作風であるが故に、多視点の物語が一つに収斂してゆくという群像劇の手法が合っているし、お家芸バンクシーンの映像的快楽は他の追随を許さない。やくしまるえつこのOP「ノルニル」「少年よ我に帰れ」も世界観に合っていて良い。こういう革新的なアニメこそもっと観てみたいと切に願う。

[百合の分類]2-5.偏愛(脇筋)