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百合の散歩道

一介の百合好きによるレビューブログ。

はじめに

 このブログは、これまでに鑑賞した中でとりわけ気に入った作品や気になった事柄について、感想やら批評やらをつらつらと書き連ねるものである。対象とする作品は基本的に完結した漫画アニメ、時々小説、ジャンルとしては特に百合を好む。感想もそれなりに偏ったものになったり、ならなかったりする。

 目的は自分の思考を言語化することによる整理、有体に言えば自己満足。なのでちょくちょく記事を書き替える。異議や不満は特に受け付けない。ただし、「こう考えたらどうか」「これも読んでみてはどうか」といった建設的な意見は大歓迎。もしも記事を読んで趣味が合うなと感じたのであれば、ぜひ貴方のおすすめも教えて頂きたい。

 なお、基本的にネタバレ全開なので、閲覧に際しては注意されたい。作品の発表年は、書籍は1巻目初版の発行年、アニメは放送開始年としている。また、記事中では独自に定義した百合の分類を用いている。詳細は下のリンク先を参照してほしい。

yuri315.hatenablog.com

 

 百合の市場規模っていまいち大きくないらしいので、ここ見て百合好き増えてくれないかなぁと思っていたり、思っていなかったり。

 

シムーン(2006)

 全26話。

 オリジナルアニメ。監督は西村純二、制作はスタジオディーン

 後天的に性別を選択する世界において、オーバーテクノロジーの兵器で戦う少女たちを描いたSF群像劇。内容は、小山田風狂子(會川昇)や大和屋暁が中心となって手掛けた前半と、岡田麿里と監督自らが交代で脚本を執筆した後半とに分かれる。前半では、世界観や登場人物を紹介しつつ、性別を選択する年齢に達しながら巫女であり続け、巫女でありながら戦争に出るという矛盾と葛藤に焦点が当てられていた。一方、後半になると、戦況が敗色濃厚になりゆく中、少女同士の関係性や思春期における自己決定といった実存の問題へと物語の比重が移されてゆく。序盤で挫折する人は多いだろうが、本格的に面白くなってくるのはむしろ中盤以降であるのが敷居の高さの所以か。

 シムーン・シヴュラが性別の選択を猶予され少女で在り続けるというのは、若さや美しさに価値を置き、処女性を神聖視する男性中心的なジェンダー規範を揶揄しているかのようだ。そんな「神の乗機」シムーンが破壊兵器として敵を蹂躙するのは、少女とは決して信仰という名の消費をされるだけの無力な客体ではなく、それを逆手に取って利用する強かさと、不当な支配構造を暴き社会を転覆しかねない危うさを内包した主体であることの表れだろう。しかし、世界は少女が力を有することを許さない。シムラークルム宮国はアルゲントゥム礁国による度重なる侵入を受け、遂にシムーンは墜ち不敗神話は崩れ去る。圧倒的な物量差と科学力を前に敗戦へひた走る姿は、第二次世界大戦時の日本とも重なる。さらに、戦勝国同士であった礁国とプルンブム嶺国もやがて対立し、分割占領された宮国に再び戦争の影が忍び寄ってゆくというのも、米ソの冷戦と代理戦争を彷彿とさせる。一方、少女から大人へとモラトリアムを卒業することを余儀なくされた人々は「永遠の少女」という可能性を夢見るが、それも所詮は見果てぬ夢、過ぎ去りし日の懐かしき思い出として美化された墓標であり、残酷な世界に留まって生きてゆかねばならないという現実が突き付けられる。少女と社会、宗教と戦争といった硬派な問題意識が織り込まれた、骨太の傑作である。

 本作は百合アニメと評されがちだが、むしろ「百合」の枠組を相対化したものであるということは、『ユリイカ』第46巻第15号で上田麻由子が詳細に論じている通りである。『ウテナ』が「百合はいかにして可能なものか」を描いたものとすれば、さしずめ『シムーン』は「これまで百合はいかなるものであったか、そしてこれからどこへ行くべきか」を問うたものであり、両者は共にメタ「百合」アニメの系譜に位置付けることが出来る。たとえ「永遠の少女」が人々の感傷と追憶の中にしか存在し得ないものだとしても、アーエルとネヴィリルの恋愛と旅立ちは紛うことなき本物であり現実であった。少女という時代との決別を切なくも美しく謳い上げることで、閉鎖的な少女の世界に留まっていた「百合」を希望の大地へ、自由な新天地へと羽ばたかせたのである。

 もちろん、純粋に百合的な見所も盛り沢山だ。単にシムーンと話すために機械的にキスするだけでなく、きちんと個々人の感情に裏打ちされた関係性の描写がそこかしこに散りばめられている。個人的には、岡田麿里初脚本回である第12話「姉と妹」が、強烈に百合を感じた良回であった。当初の思い込みが覆されるのが心地良い。他にも、終始男好きであるかのような言動を取っていたフロエが、本当は誰のことが好きだったのかなど、色々と掘り下げて考える余地があるのも嬉しい。己の視線に自覚的になりつつ楽しもう。

 独特な世界観、耳慣れぬカタカナの設定の数々と取っ付き難い作風ではあるが、それだけに唯一無二の観る価値がある。コール・テンペストの面々はしっかりと描き分けられて魅力的な個性を放っているし、「最上の愛」といった鮮やかな伏線回収や、各話を象徴する美麗なアイキャッチも素晴らしい。音楽や美術は非常に繊細で美しく、総合芸術としてのアニメーションの魅力が存分に詰まっている。美しければそれでいい。

 

小林キナ『ななしのアステリズム』(2016)

 全5巻。初出はスクウェア・エニックスガンガンONLINE』。

 女子中学生3人の三角関係百合と男子2人のBLを描いた拗らせ青春群像劇。初めて会った日の会話をきっかけに3人とも一方通行な恋心を抱いていたという鮮烈な第1話、そして第1巻末尾のポエミーな独白によるタイトル回収と、のっけからとてつもない漫画が始まったという予感しか与えない。さらに読み進むうち、それぞれの視点から「私には秘密がある」という台詞と共に新事実が明かされてゆき、誰が何を知っていてどう思っているのか高度な情報戦と心理戦が繰り広げられていたことに驚愕させられる。最終巻に至っては、同性愛のみに留まらぬ性的多様性や、少数の多数派に対する特権意識といった、生半可な覚悟では踏み込めない領域へも突入してしまう。恋愛という、ともすると冗長になりがちな題材を扱いながら、ここまで凄まじい情報量を無駄なく完璧な構成で纏め上げた手腕もまた圧巻だ。

 本作の最大の見所は何と言っても、三角関係百合の一角・琴岡みかげである。平素は己の感情を抑圧し隠蔽しつつも、時に溢れ出す想いに身を任せてしまったり、現状維持と破壊衝動との間で揺れ動き、余裕を失くしてつい残酷な振る舞いを取ってしまったりと、拗らせっぷりが実に危うく魅力的だ。その一挙手一投足に心を搔き乱され、どこまで行っても堂々巡りな思考に胸は張り裂けんばかり。暗い感情の籠った冷徹な視線にぞわぞわしながらも、いつか必ず幸せになって欲しいと心から願ってしまう。百合漫画史上最も刺さるヒロインと言っても過言ではない。刮目せよ。

 一方、残念でならないのは、どうやら打ち切りの憂き目を見たがために、いくつかの伏線が回収されず終盤の展開も駆け足になってしまったことだ。後書きの裏話で触れられていたように、琴岡や朝倉の過去はもっと掘り下げて欲しかったし、女装の露見やかっこいい告白の場面も見てみたかった。許すまじガンオン編集部。

 最後に、随所で話題を呼んだ最終巻カバー下について。本編の最後に司が考えていた通りの将来像を素直に提示しており、概ね予想の範囲内であった。それでも“3人組”は変わらないという結末は、とても尊く美しい。ただ、琴岡の「司はいつか“普通”になる子だから」は、「お前が勝手に他人の気もちを決めるな!!」という司の言葉によってメタ的に否定されたようにも思えるし、そもそも本作は一貫して、表面だけ見ても分からないような「秘密」を描いてきた。それ故、あの後日談を額面通り受け取るのも何となく憚られるのだ。いずれにせよ、作品をより味わい深くする良い余韻になっているのではないかと思う。

 “名前のない感情”に真正面からぶつかり、大胆かつ誠実に描き切った傑作。捩れて絡まり合う関係性、錯綜する想いの行方は、読めば読むほど辛く苦しく切なくなる。そのしんどさが堪らなく愛おしい。読まないと人生損している、確実に。

 

カレイドスター(2003)

 第1期26話、第2期25話、OVA3本。

 オリジナルアニメ。監督は佐藤順一、制作はGONZOとG&G Entertainment。

 王道の成長物語。主人公が仲間や家族に支えられつつ努力と葛藤の果てに夢を叶えるという一見陳腐なストーリーだが、人物の心情に寄り添い一つひとつの展開をしっかり積み上げてゆく作り込まれた構成と、それを巧みに映像という形に落とし込み活き活きと芝居を魅せてくれる安定した演出によって、嘘のようにぐいぐい引き込まれて観始めたら止まらない。健康的な色気のあるキャラクターデザインも好感が持てる。厳しい特訓の描写などからスポ根と評されることもあるが、観客を楽しませるサーカスを題材とすることで、勝利の興奮などよりも余程大きくて深い「感動」を与えてくれる、普遍的な物語を描き出すことに成功している。

 主人公・苗木野そらを始めとして女性が多く登場するが、本作の主眼はあくまでも個人の成長に置かれているため、関係性それ自体の強さが押し出されず百合要素は薄い。しかし、最初は憧れの対象でしかなかったレイラと互いに高め合うまでになる経過や、苦手意識を持ちつつも深いところで通じ合っている親友・まなみとの遣り取りには、決して無視出来ない尊さが存在するのも確かだ。結局それらは成長の糧でしかなく、カップリングとして際立ってはいないので、過度の期待は禁物だが百合的な見方も全く不可能ではない。

 とにかく すごい 傑作。シリアスとギャグの配分も良く、シンプルながら高い完成度だ。挫折を乗り越えて自分の信じる道を進むそらの姿を見れば、きっと人生において大切なことを教わり、明日を生きる勇気を貰うことが出来るだろう。最高の喝采を送らざるを得ない。

 

玄鉄絢『少女セクト』(2005)

 全2巻。初出はコアマガジンコミックメガストア』及び描き下ろし。

 百合エロの最高峰。女子校百合という触れ込みからは想像も付かない程にがっつりエロシーン満載ではあるが、巷に溢れ返る成人男性向け作品のように奇乳で汁塗れということはなく、写実的ではあれど品のある官能美が描かれる。心理描写も非常にしっかりしている上、細部まで丁寧に作り込まれた美麗な作画は目を瞠るものがある。難読人名を始めとする凝りに凝った設定や、ウィットに富んだ小粋な台詞回しは、やや通好みと言うか同人っぽい感じはするが、ありきたりな作品に飽き飽きした玄人には丁度良い濃厚かつ濃密な味わい。

 第1巻は毎回新しいカップリングが登場する1話完結、第2巻はそれまで狂言回しに甘んじていた2人の主人公・内藤桃子と藩田思信を主軸に据えて物語が進む。のっけから状況説明が殆ど為されず、最初は何が起こっているのか全く分からないという取っつき難さはあるが、読み進めてゆく内に世界観と人間関係が掴めてくる。一旦慣れてしまえば、一つの作品でこれだけ幅広く様々な関係性を楽しめるという贅沢な作りなのだと気付かされる。個人的には雪華と旦蕗のような拗らせ具合が大好き。

 全体的にポリアモリーを指向しているのも注目すべきところ。それが享楽的な性愛としてではなく、きちんと心情や関係性込みで肯定的に描かれているのも素晴らしい。10年前にここまで解放的な作品が存在したことに驚かされ、未だに百合の定義論争をうだうだ続けている連中がいるのもアホらしく思えてくる。

 百合漫画史上の名作の一つとして末長くその名を留めることは間違いない。とにかく過剰にして豊穣、豪華絢爛な作品世界に酔い痴れるべし。また、10年振りの新規描き下ろし「Extra Chapter III」がまとめ版のコンビニコミックに、スピンオフ作品「五十鈴のカウンター」が『イイタさんペイロード』第1巻に収録されているので、併せて読むことをお勧めする。

[百合の分類]1-C(S)

 

ストロベリー・パニック(2006)

 全26話。

 原作はメディアワークス『電撃G's magazine』の読者参加企画・公野櫻子Strawberry Panic!」。監督は迫井政行、制作はマッドハウス

 聖ミアトル女学園、聖スピカ女学院、聖ル・リム女学校の3つの女子校と、3校共通の寄宿舎・いちご舎を舞台に繰り広げられる恋愛群像劇。古典的な百合のお約束や様式美で固めつつ、肉体関係にまで及ぶ大胆な描写も取り入れており、現在の多様な百合表現から見て先駆的・過渡的存在であったと評せる。男性目線を意識したような媚びた要素が目立つのは否めないが、作品世界からは男性が徹底的に排除されている。

 入念な構成や巧妙な伏線の張り方が特徴だが、裏を返せば仕込みが遅く登場人物の核心部分が終盤まで明かされないということであり、それが仇となって初見ではいまいち背後関係が見えにくく感情移入しづらい作品。代表的な百合アニメとして名前が挙がることが多いが、むしろ幾度もの鑑賞を要求する玄人向けであると言えよう。

 人物造形や設定情報の出し方にも難がある。ミアトルの渚砂と静馬、スピカの光莉と天音の2組のCPを両輪として話が展開するものの、渚砂以外は基本的にヘタレで敢えて応援する気になれない。特に光莉は、王子様を待つお姫様という三流少女漫画にありがちなうじうじめそめそした受動的な性格が鼻に付き、第25話でようやく意地を見せるが少し遅すぎるという感が強い。他にも、静馬は序盤の掴みでもっとカリスマ性を強調すべきだったとか、注文は幾らでも付けられるのだがこれくらいにしておこう。

 一方、本作の見所はやはり、片想いの切なさを余すところなく描き切った点にある。主軸の4人に比べると、周囲の人物の方が必死な想いを抱えているのが痛いほど伝わってきて、共感しやすいし好感が持てるのだ。第20話で玉青、第21話で深雪、第22話で夜々と要というように、それまでの人間関係が一気に収束へ向かってゆく怒涛の伏線回収は圧巻。特に「例えば地球温暖化だ」を筆頭に数々のネタと奇行で知られる要が、ここまで男前な役柄に回るとは誰が想像できただろうか。そして最終話の「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」という心震える演出。誰もが幸せな結末というのが不可能な中で、それぞれの想いをきちんと着地させ、一つの物語として纏め上げたところは高く評価したい。

 このように、色々と惜しい作品ではあるが、百合好きなら見過ごせない魅力があるのも確かだ。ガチ百合アニメがほぼ皆無な現状、観ておいて損はないだろう。

[百合の分類]1-C,S

 

林家志弦『ストロベリーシェイク』(2015)

 全1巻。初出はマガジン・マガジン百合姉妹』、一迅社コミック百合姫』他。『百合姫』移籍時に題名を『ストロベリーシェイクSweet』と改め、2006~2009年に全2巻が刊行。これを原題に戻し、描き下ろしを加えた新装版として集英社より発行された。

 芸能界百合コメの決定版。冒頭はドタバタなギャグ漫画という色彩が濃いが、話が進むにつれて恋愛に焦点が当てられてゆき、終わってみれば王道の純愛漫画だったという絶妙さ。メインCPだけでなく、脇を固める百合キャラ達も物語を大いに盛り上げ、どこを取っても面白くエンタメとして精緻に完成されている。だらだらと長引かせず、引っ張る所ではとことんやきもきさせ、畳む所では一気に片を付けるというような、ぴりっとした緩急の付け方も好印象。

 ヘタレな樹里亜×天然の蘭の初心でピュアな恋愛に萌えるのは当然のこと、本作を秀作たらしめているのはずばりZLAYである。「メンバー全員女の子しか愛せない」4人組スーパービジュアルバンドである彼女ら、登場した当初は単なるギャグ要員かと思いきや、笑える台詞を吐きつつも実はそれが状況を的確に総括していたり、樹里亜と蘭の恋を進展させるきっかけを作ったりと、狂言回し兼サポート要員として作品の根幹を支える役回りを担っているのだ。しかもその言動をいちいち面白く仕立てることで、不自然さを感じさせず高いテンションを維持している。もはや神業と言っていい。

 登場人物の中で個人的に一番好きなのも、やはりZLAYのベース担当・レキ。メンバーの中で最も正統派の可愛らしい外見でありながら、殆ど表情を変えずにツッコミを入れたり毒舌を吐いたりするのが素敵。いつも喧しく調子乗りなリョウが、レキには頭が上がらず尻に敷かれているという関係性がツボであった。

 読んでいて、こうした直球の恋愛はラブコメに昇華させるのが一番合っていると改めて実感した。逆にシリアスな路線であれば、恋愛の儘ならなさや不毛さに踏み込んだ変化球が丁度良い。だから大真面目にピュア百合やったり、逆に変化球で強引に笑いを取ろうとしたりすると結果的に失敗してしまうのかなぁと思ったり。

[百合の分類]2(1)-C

 

百合の定義・分類【改訂版】

 これまでの作品評を踏まえた上で、以前の記事よりも実践的な百合の定義・分類方法を考えてみたい。

 現状、多種多様な関係性が「百合」と大雑把に括られているため、「どこからどこまでが百合なのか」「この作品は百合と言えるのか」という不毛な議論がそこかしこで頻発している。この記事の目的は、百合と捉えられるコンテンツを大まかに分類し、「これは百合か否か」から「自分にとっての百合はどれか」への転換を促すことにある。

 

 百合は女性2人(以上)のカップリングがなければ成立しない。カップリングとは、「双方向的に感情や言動が遣り取りされる関係性」であると定義しておく。そして、百合CPを1組以上含む作品が百合コンテンツであり、作中の主要なCPがどのような感情や言動に基づくのか分析することによって百合コンテンツを分類できると考えられる。

 ここで注意したいのが、片想いの取り扱いだ。片想いは一方通行の感情であり、一見するとCPを作り得ない。当然、片想いされる側がする側に全くの無関心・無反応であればその通りだ。しかし、百合コンテンツで取り扱われる片想いは、反作用としての逆方向の感情を伴う。たとえば、熱烈なアプローチに対して「こっち来んな」と冷たく拒否するといった対応が考えられるだろう。この関係性が美味しいと感じられれば、それは立派なCPとして萌えの対象となるのだ。

 また、片想いと一口に言っても様々な種類があり、それによって同じ「こっち来んな」という対応であっても異なる色彩を帯びてくる。真剣な交際を申し込まれた場合における「こっち来んな」は、付き合うつもりは全くないという断固とした拒絶反応となる。一方、幼馴染からいつものように好きだと纏わり付かれた時の「こっち来んな」には、逆に冷たくすることで主導権を握ろうという意図が隠れているとも受け取れる。このように、関係性の質や濃度は、たとえ片想いであっても様々に分けて考えることが出来るのである。

 

 では、実際に関係性の類型や描き方による分類を試みたい。明らかに百合と言えるものはともかく、何となく百合っぽく感じるものについて、その内実はいかなる関係性が描写されているのかに留意して分けてみた。呼称はあくまでも便宜的なもので、より良いものがないか試行錯誤中。

1.レズビアン

  少なくとも片方が女性同性愛者または両性愛者であることを前提や暗黙の了解として、女性同士の恋愛・性愛模様を描いたもの。精神的に成熟し、既に自分のセクシュアリティを概ね把握していることから、関係性の中での感情の揺れ動きや心理的駆け引き、周囲や社会との軋轢などが中心的関心に位置する。大半が性行為やそれに類する行為の描写を含む。

 ビアン同士のいちゃらぶ結婚生活からノンケ相手の悲恋百合、果ては体だけの関係やポルノ紛いの作品まで含むため、下位分類を設けた方が良いかもしれない。

 例: 秋山はる『オクターヴ』(2008) - 百合の散歩道

    森島明子『瑠璃色の夢』(2009) - 百合の散歩道

2.自覚系

 主に思春期の女性同士が、セクシュアリティの揺らぎや葛藤を経験する中で自身の性的指向を自覚し、恋愛関係を育んでいく過程を描いたもの。思春期特有の悩みや実存不安と結び付いた形で、学園青春ものとして成長物語の側面を含むことが多い。かつては既存の性規範を無批判に内面化した耽美系が大部分を占めていたが、現在は自分や相手ときちんと向き合うことを重視する真摯な作品群が主流となっている。清い関係で踏み止まる場合と、肉体関係に踏み込む場合の両方が存在する。

 例: 志村貴子『青い花』(2006) - 百合の散歩道

    森永みるく『GIRL FRIENDS』(2008) - 百合の散歩道

 以上1~2を「ガチ百合」と一括りにすることもできるだろう。一方、ここからは下に行くにつれて恋愛と呼ぶのは躊躇われるような微妙な関係性となる。

3.示唆系

 「好き」等と言ってはいても、それが具体的にどのような感情なのか、どこまでの関係性を求めているのか判断が難しいもの。性行為やそれに類する行為の描写がなかったり、あっても抽象的・観念的に描いていたりして、恋愛かどうか曖昧である場合にこの分類を適用する。

 もしくは、少なくとも片方は明らかに恋愛感情を抱いているとしか思えないのだが、作中では明言や断定をされず、仄めかされるだけで留まっているもの。各人の百合フィルターの強さによって範囲が広がったり狭まったりするが、基本的には「いやこれはもう確実に付き合ってるわ」と大多数による合意が成立する程度の描写を想定している。例に挙げた2人が分かりやすいだろう。

 例: 天王はるか×海王みちる

    ユリ熊嵐(2015) - 百合の散歩道

4.特別視系

 少なくとも片方が相手の女性に、通常想定されるよりも遥かに強い感情を抱いている様を描いたもの。恋愛とは一線を画すものの、実存や人生に関わる核心的問題として受け止められる程の激しい想いや結び付きを伴う。具体的には、好感、尊敬、憧憬、羨望、崇拝といった評価系、独占欲、庇護欲、依存、加虐・被虐願望といった執着系、ライバル意識、嫉妬、憎悪、殺意といった敵対系の3種類に大別できるだろう。これら全てに共通しているのは「この人は自分にとって特別な存在だ」という意識である。それ以上は各自妄想や二次創作で補うべし。

 ピュア百合は純粋な魂の交流を美化し、精神的な繋がりこそ至高とする一派には非常に受けが良い。ドロドロ百合は行き過ぎた愛のディストピアに陥りがち。

 例: 灰羽連盟(2002) - 百合の散歩道

    魔法少女まどか☆マギカ(2011) - 百合の散歩道

5.絆系

 女性同士が強固な信頼関係や友情で結ばれている様を描いたもの。内面描写が乏しく、殊更に惹かれたり意識したりしているかは不明だが、一般的な友達や親友よりも高い次元で互いを唯一無二の相手として認め合っているように見受けられるものを指す。そこから先は妄想・二次創作どんと来い。

 関係性の外部との抗争には強い団結力を発揮するため、バトルものやSFとの親和性が高い。

 例: エル・カザド(2007) - 百合の散歩道

    咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A(2012) - 百合の散歩道

6.親密系

 少なくとも片方が相手の女性に、度を越して強い愛情表現や身体的接触をしているようなもの。具体的には、じゃれ合ったり抱き着いたり胸を揉んだりといった、過剰なボディタッチや濃厚なスキンシップなど。当人らの意識が確実に恋愛感情であれば分類1に含むべきだが、友達感覚の延長であったり不明瞭であったりする場合にはこの分類を適用する。

 もしくは、日常生活の中で偶然見かけた女性同士が親しげにしている情景や、その種の断片的な描写に、百合センサーが反応して萌えるようなもの。前後の文脈から切り離されており当人らの感情が分からないことが多いが、むしろ分からないからこそ妄想の余地が生まれ、大きな瞬発力を持ち得ると言える。

 例: きらら系(←割と偏見)

 以上3~6を「匂い百合」と総称しておく。3~5は描き方で分けており、実際の中身は重なる部分も多いと思われるが、ひとまずこれで置いておく。

 

 上記6種類のいずれかに当てはまる関係性が「百合」であると定義する。この分類に作品の方向性やジャンルによる分類を組み合わせれば、どのような百合が描かれているか大体把握できるだろう。そして、自分が好きな作品がどの分類に該当するか見ていけば、百合萌えポイントが掴めるというわけだ。ここでは、ひとまずシリアス(S)とコメディ(C)の2種類にジャンル分けして、関係性の分類と合わせてみようと思う。

 

 具体的な表記法は次の通り。複数の種類の関係性が併存している時は「,」で並べ、主・副が明確なら後者を「()」で括る。一対の関係性が基本的にはある分類に該当するが他の分類にも近かったり、2人の姿勢がそれぞれ異なる分類に分かれたりする場合には「/」で区切るが、なるべく分類を確定させたいので多用は控えようと思う。

 次にジャンルについては、大筋はシリアスで時折コミカルなら「S(C)」、その逆は「C(S)」、段々シリアスからコメディに移っていくものは「S,C」、その逆は「C,S」とする。そうした緩急がなく、どちらともつかない場合は、勢いや熱量で畳み掛けるような作品は「SC」、明るくほのぼのハートフルな作風であれば「CS」と表記する。

 そして、関係性とジャンルの分類をそれぞれ「-」で繋ぐ。たとえば、示唆系寄りの絆系CPを中心に特別視系CPも描かれ、テンションの高いバトルものであれば「5/3,(4)-SC」と表記することになる。

 

 今後書く感想はもちろん、以前に感想を書いた作品についても、以上の方法に従って新たにやり直した分類を末尾に書き加えてゆくこととする。了承されたい。

 より汎用性の高い定義・分類を考えてゆきたいので、ご意見あればコメント欄へどうぞ。

 

エル・カザド(2007)

 全26話。

 オリジナルアニメ。監督は真下耕一、制作はBee Train

 西部劇調のロードムービー。前2作から一転、眩しい太陽が似合う陽気で軽快な作風で、魔女やら何やらといった設定の重さを余り感じさせない。主題や脚本はそこまで深いものではなく、謎の解明や過去の探求も若干消化不良なまま終わってしまう。そうした従来突出していた要素が削ぎ落とされた代わりに、百合成分が圧倒的なまでに強化され、ナディとエリスが終始いちゃいちゃしながら旅を続けるという百合好きには堪らない素晴らしい作品に仕上がっている。

 このアニメ、何と言ってもエリスが可愛い。「いえっさ」あざと可愛すぎる。女性に対してはイエスマムだろとか野暮な突っ込みはしない方向でお願いします。そんなエリスがナディと旅する内に初めて湧き上がる様々な感情を経験し、徐々に深い絆で結ばれてゆく。こうなるとバカップルの会話で尺はほぼ埋まり、もう視聴者はにやにや笑うのを止められない。特に第19話、百合夫婦だと認めたも同然の会話は、まさに尊いの一言に尽きる。ラスボスとの対決をあっさり終わらせ、最終話を丸々後日談に使った点にも、2人の関係性をきっちり見せようという百合に優しい心意気を感じる。ガチ恋愛でない作品で、ここまで純度の高い百合を精製したものが他にあれば教えてもらいたいくらいだ。

 整合性の『NOIR』、過剰性の『MADLAX』に比すと、さしずめ百合萌えの『エル・カザド』といったところか。完成度で幾分か後れを取り、中身の無さでは群を抜くものの、だからこそ百合の美しさを存分に味わえるように出来ているのだ。

[百合の分類]5-S(C)

 

コダマナオコ『コキュートス 完全版』(2016)

 中編2本、短編1本。初出は一迅社コミック百合姫』他。2014年に刊行されたA5判の旧版に未収録作品を加え、B6判の完全版として改めて発行された。

 『百合姫Wildrose』Vol.7で発表された読切「思春期メディカル」が追加されたことで、旧版に比べて作品集としての纏まりが良くなったという印象。思春期特有の生きづらさと百合の組み合わせは鉄板だが、それを単なる若さ故の過ちや一過性の現象と押し込めるのではなく、むしろ普遍的かつ恒久的なものとして拡張してゆくような思想がこの作品には備わっている。それが、学校の中で閉じた「コキュートス」と社会人への移行期を描いた「モラトリアム」の間に挟まることで、両者を一貫したテーマの下で有機的に繋げることに成功しているのだ。狙ってやったのならお見事。

 確かに、同性愛を社会への異議申し立てや反体制の旗印に掲げるようなことは、社会への包摂を望む当事者にとっては傍迷惑な行為かもしれない。ただ、それらのモチーフがかっちり嵌まってしまうのが現状であり、それを表現するなと言う方が土台無理なのではなかろうか。耽美的に「禁断の愛」を称揚するような無自覚や無配慮は問題だが、過敏に言葉尻を捉えるのも思考の枠を狭め、多様性を尊重しようという流れに逆行する。やはり、異性愛が背後の権力関係に無頓着では成立し得ないようになってしまったからこそ、これ程までに同性愛の物語への欲望が強まっているのだろうし、それは多様性の受容への足掛かりくらいにはなると思うのだが。

 それにしても、やはり「モラトリアム」には唸らされる。それぞれ思惑があって自分の望む通りに事を運ぼうと画策しているという一筋縄では行かない関係性とか、恋愛至上主義者と百合にセックスは不要論者の双方への皮肉やメタ批判として読める点とか、いちいち秀逸。作者自ら「おもしろい」とツイートするだけのことはある。

 ただ、完全版と銘打って出すのであれば、初出一覧くらいは付けてほしいところ。せっかく粒揃いの良作なのだから、保存版としての価値も考えてもらいたかったものだ。

[百合の分類]1/4,2-S

 作品自体の感想はこちらも参照されたい。

yuri315.hatenablog.com

 

MADLAX(2004)

 全26話。

 オリジナルアニメ。監督は真下耕一、制作はBee Train

 舞台は戦場、敵は情報犯罪組織と、『NOIR』に比べて血生臭く陰鬱な作風。随所に謎や伏線を散りばめた複雑かつ難解なストーリー、セカイ系的な世界観、強いメッセージ性、陰謀論めいた設定、古代文字や呪文といった厨二病な小道具、天然お嬢様やメイドといった確信犯な萌えキャラ達、そして乱立する百合フラグ等々、てんでばらばらな要素がこれでもかと過剰なまでに詰め込まれているにも拘らず、やはり落ち着いた雰囲気に纏まっているのは演出と音楽の為せる業か。

 前述のように本作では百合フラグをばんばん立てており、そこかしこで繰り広げられるいちゃいちゃやら一方通行やらをにやにや眺めて楽しむという仕様になっているのだが、そんな愛らしい登場人物達が終盤ばたばたと死んでしまうため、とてもやるせない心持ちにさせられる。特に、マドラックスが見逃したせいでリメルダにヴァネッサが撃ち殺されたのに、結局そのリメルダとくっ付いてしまうという展開には全く納得が行かなかった。ただ、第24話でエリノアの本質が示される場面を筆頭に見所が沢山あるのもまた事実、評価の難しいところである。

 一応、人間の本質は衝動か理性かという哲学的な主題を扱ってはいるのだが、基本的には深く考えず流れに身を任せて良いだろう。挿入歌「nowhere」、俗に言う「ヤンマーニ」の無双銃撃戦の映像的快楽で一点突破しており、そこを楽しめれば問題ない。そうした抜きん出た部分が多い反面、全体としてはとっ散らかり過ぎて総合的評価が低くなりがちな作品ではあるが、所謂「美少女ガンアクション三部作」の中では最高傑作と言っても良いのではないかと思う。百合が比較的薄いのが返す返すも残念。

[百合の分類]5(4)-S

 

志村貴子『青い花』(2006)

 全8巻。初出は太田出版マンガ・エロティクス・エフ』及び描き下ろし。

 百合漫画界に燦然と輝く古典的名作。主軸に据えられるのは女子高生2人の恋愛だが、周辺の人物のヘテロ含む恋模様も等身大に描き込まれ、美しく繊細な青春群像劇に仕上がっている。胸が張り裂ける余り、やむなく読むのを小休止してしまう程の切なさと、自ずと笑みが零れる温かさに満ち溢れており、読み返す度に深い感動を味わえる。

 女子校を主な舞台としながらも、視野狭窄に陥らずここまでリアルな物語を紡ぎ得たのは、2人の主人公が別々の学校に通うことでそれぞれの人間関係を膨らませ、閉鎖的にも開放的にもなり過ぎなかったからだろう。登場人物の背景を分散させることで、ある程度ばらばらに自由な行動をさせつつ、空中分解することなく大きな流れを作り出している。そこに親子や姉妹といった家族関係も取り入れたことで、重層的で奥行きのある物語世界を構築したというわけだ。

 個人的には、大野織江さんと山科日向子さんのカップルが一番好き。本筋が遅々として進まない一方で、こういう生活感のある百合関係が脇を固めているのも、本作を極上の恋愛物語たらしめる所以の一つだろう。恋愛における障害は、当事者同士の実存的な葛藤と、周囲との関わりの中で発生する問題の2種類に大別される。あーちゃんとふみちゃんの関係性が前者中心な上にかなり理想的な形で完結するため、後者を中心的に扱った織江さんと日向子さんの話を付加することで、物語世界に多角的な視点を導入することに成功しているのだ。まあ、大人版の織江さんが外見的に最も好みというのもあるが。

 本作を超える百合漫画は当分出てこないだろう、そう思わせるには充分な出来。未読ならとにかく読むべし。百合に興味がない人にもお勧めできる作品だ。

[百合の分類]2(1)-S

 

NOIR(2001)

 全26話。

 オリジナルアニメ。監督は真下耕一、制作はBee Train

 真下耕一の独特な間を取った演出と、梶浦由記の美麗な音楽が組み合わさった極上の雰囲気百合アニメ。ゆったりと落ち着いたテンポで、余計な説明を排して静かに淡々と進行する作りが特徴的だ。美少女が拳銃をぶっ放し無双するというご都合主義展開ではあれど、徹底的にやり切ることで洗練された様式美として昇華させている。

 舞台は裏社会、敵は秘密結社という重厚な設定は、ハードボイルドなガンアクションをやるにはうってつけだ。ソルダ内部における現実主義と原理主義の対立というのもいかにもありそうで説得力がある。物語の構造がすっきりしているお蔭で、あれこれ無駄なことを考えずに作品に入り込めるというわけだ。中途半端な小細工をしていない分、本筋が予定調和的にこぢんまりと纏まってしまい、裏稼業の非情さを描いた一話完結の話の方が見応えがあるというきらいはあるが、そこは演出と音楽の効果で充分に補えているだろう。むしろ、本作は「銃と少女」というテーマをいかに美しく見せるかという表現技法を追求したものであり、設定や脚本に難癖を付けるのは野暮というものである。

 見所は、バディものから三角関係へ発展する百合展開。最初はミレイユと霧香が暗殺者コンビ「ノワール」を結成し、少しずつパートナーとしてお互いを信頼し合うようになってゆくが、物語が進むにつれて霧香とクロエの二人が本来ノワールになるべき存在として育てられたということが明らかになる。この、せっかく夫婦になれたのに実は相手には本妻がいたんだ!という感じが実に百合である。欲を言うならば、クロエを更に掘り下げた上でミレイユや霧香に匹敵する程の可愛く魅力的なキャラクター造形にした方が、三角関係をもっと盛り上げることが出来たのではないか。

 一つひとつの要素の完成度が高く、観る者の期待を裏切らない。お洒落アニメの一つの到達点と言えよう。

[百合の分類]5(4)-S

 

仙石寛子『三日月の蜜』(2010)

 中編1本、短編11本。初出は芳文社まんがホーム』他。

 百合に限らず、異性愛、近親愛、人外など、一風変わった恋愛や恋愛未満の微妙な距離感を丁寧に描く。4コマ漫画の形式を取ってはいるが、4コマ毎に起承転結がきっかりあるわけではなく、単にコマが4つずつのストーリー漫画である。描画は繊細で温かく、また多くが恋愛の切なさを中心的に扱っており、これぞ少女漫画という味わい。

 百合を描いた作品は、全8話で構成された表題作、ほんわかした友情ものの「女子メガネ」、バニー×牛の「ちょっと早いけど干支」、王女×メイドの「一途な恋では」の4本。表題作は女×女×男の三角関係だが、軽い気持ちで付き合い始めた佐倉さんと桃子さんが徐々に惹かれ合ってゆくまでの感情の揺れ動きに寄り添っていて、むしろ直球のガールミーツガールと言えそう。「一途な恋では」は、春になれば姫が隣国に嫁いでしまうという悲恋百合。ただ叶わぬ恋を美化するのではなく、相手が自分の気持ちを信じてくれない、そんな恋なんて終わりにしたいという切ない想いに焦点を当てているところが実に読ませる。姫とメイドのユーモラスな掛け合いも楽しい。

 作者の真骨頂は、「ちょっと早いけど干支」のバニーさんと牛さんのいちゃいちゃに見られるような、人ならざるものがごく普通に登場する話だろう。「キラキラ青虫」は少年と青虫(♀)のヘテロものだが、二人(一人と一匹?)のコミカルな遣り取りがとても面白い。他にも雪男、人魚、守護霊など、独特の作品が多数収録されている。百合に留まらず様々な題材を同時に楽しめる贅沢な短編集だ。

 ちなみに、表題作の後日談が『この果実は誰のもの』に収録されている。カバー下で描きたいと言っていたBLも、これ以降に発表された作品で読むことが出来る。どれもおすすめなので、百合にしか興味がないという人も騙されたと思って手に取ってみて欲しい。

[百合の分類]2,3,6-CS

 

灰羽連盟(2002)

 全13話。

 原作は安倍吉俊の同人誌『オールドホームの灰羽達』。監督はところともかず、制作はRADIX

 静謐な雰囲気、幻想的な世界観、淡々と進む展開、落ち着いた演出と、どれを取っても美しく癒される。贖罪と救済という宗教的な題材を扱ってはいるが、絶対他者などではなく罪と向き合う主体としての自己の在り様に焦点を当てており、これもまた実存不安を問題化した作品であると言える。

 ラッカがレキを救うには「罪を知る者に罪は無い」という罪の輪から抜け出さねばならないというのが物語の骨子。レキは良い灰羽になろうと他人に親切に振る舞うが、それは救済を目的とする自己本位な行動だと自分を責めるという悪循環に苦しんでいた。そのような救済を拒否する自罰意識を告白・克服し、拒絶を恐れずに自らラッカに助けを求めることが必要であり、ラッカもまたレキの絶望や嫉妬を理解し受け止めた上で助けようとしなければならない。救う者と救われる者との間に横たわる断絶を綺麗事抜きで丹念に描き出し、両者の魂の救済へと昇華させた最終話は圧巻であった。百合的にも有数の神回だろう。

 基本的に寓話であり、灰羽やグリの街が何を表しているかは特に重要ではない。雰囲気と百合を穏やかに楽しむことに特化しており、派手な興奮こそないものの深い感動を得られる。ただ、一言文句を言わせてもらうと、他人の部屋で喫煙するという描写に若干腹が立った。煙草の臭いが服やベッドに移ることに頓着しない作り手の無神経さが透けて見えたからだ。その辺の気配りが足りていれば胸を張って名作と紹介できたのになぁと惜しいところである。

[百合の分類]4-S